新しい価値観と伴侶に出会った一橋大学への留学体験

  • 韓国租税財政研究院委員ウォン・チョンハク氏
  • 全南大学校准教授ウォン・ジヨン氏

(『HQ』2015年冬号より)

子どもに日本を見せたかった

ウォン・チョンハク氏とウォン・ジヨン氏ご夫妻が、愛娘のソヨンちゃん

2014年8月19日から一橋大学で開催された日韓歴史共同研究会に先立って、ウォン・チョンハク氏とウォン・ジヨン氏ご夫妻が、愛娘のソヨンちゃんを連れて国立(くにたち)を訪れていた。
夫君のウォン・チョンハク氏は一橋大学大学院経済学研究科で労働経済学を専攻して博士号を取得。夫人のウォン・ジヨン氏も一橋大学大学院社会学研究科で日本の近代史を研究し博士号を取得している。今回の来日は、ジヨン氏が前述の共同研究会に出席するためのものであった。「せっかくの機会なので、子どもに日本を見せたいと思い、早めに来日しました」(ジヨン氏)

お2人は、一橋大学の大学院生時代に留学生の寮である国際交流会館で、同郷の友人を通じて知り合ったとのことだ。
「2人とも韓国の大学を卒業してからの留学でしたから、会館のなかでは最年長グループでした。若い学生たちとは行動パターンが違っており、もう1人の先輩を加えて『寮に居残る三羽烏』と言われ、室内に籠って勉強する日々でした」(チョンハク氏)

この三羽烏でよく食事を共にした。先輩は既婚者だったため、自然と2人は親しくなっていった。その後、韓国に帰国してからも長い友人期間を経て、結婚することになる。
ジヨン氏は、5年前に一橋大学の客員研究員として愛娘のソヨンちゃんと一緒に国立で暮らしていた。今回、娘にあらためて日本を見せたいと思ったのは、ソヨンちゃんが「5年前の日本のことを何も覚えていない」と言ったことも理由の一つだった。
「当時、娘は4歳。日本語の準備など何もさせないでいきなり保育園に預けましたので、本人としては精神的なショックが大きかったのでしょうね。日本には、良い思い出はなかったと言うのです。しかし、しだいに記憶が蘇ってきたようで、『あのパン屋のおじいさんに会いたい』『あそこの公園で遊びたい』などと言うようになってきました」
こうして国立で小さな国際交流が行われたのである。

学部の垣根の低さは近代史研究には最高の環境

ジヨン氏1

共同研究会に参加したジヨン氏は、韓国では日本近代史を研究していた。日本への留学は、ある意味必然だったのかもしれない。留学先に一橋大学を選んだのは、社会科学の研究総合大学であるところに魅力を感じたからだと言う。
「通常、大学で歴史学を研究する場合は史学科といった括りで、古代史から近現代史までを研究するのが一般的なのではないでしょうか。ところが一橋大学では、法学部にも経済学部にも社会学部にも歴史を専門とする先生方がおられて、社会科学という立場から研究を進めています。近現代史を学問対象としている人間にとっては、これほど興味深い環境はありません」

当時の担当教官は、吉田裕教授。1991年から1999年の8年間を国立で過ごしたジヨン氏は、国立を「第二のふるさと」のようなものだと言う。
「大学院時代は、いい思い出ばかりです。国立というところは外国人留学生に対しても非常に開かれていますし、皆さんがフレンドリーに接してくださいました。それは研究員として子連れで戻ったときも同じでした。ご近所の方をはじめ、多くの方が助けてくださいました」

ちなみに、ジヨン氏が最初にこの共同研究会にかかわったのは、一橋大学の大学院生時代だった。大学院修了後はポストドクターという立場で韓国側のスタッフとして加わることになり、現在は全南大学校の准教授としてプロジェクトに参加している。

一橋大学・小野旭教授との幸運な邂逅

チョンハク氏1

一方、チョンハク氏は、韓国の延世大学校大学院修士課程で経済学を学んでいた。チョンハク氏が経済学を学んでいた1985年当時の日本はバブル期のはしりで、日本経済は世界から注目され始めていた。こうした経済学的関心から日本に注目し、「時間もあることだし、日本語でも学んでみるか」と思い立ったのだそうだ。1990年から1年半の兵役を経て、「日本の労働市場」について本格的に研究しようと決意する。その準備として1992年に来日、日本語学校に通学しながら留学先の大学を探していた。情報収集の一環として一橋大学にも訪れたのが、一橋大学を知るきっかけとなった。
「何よりキャンパスの雰囲気に惹かれました。学問のレベルも非常に高く、ここで学びたいと思ったのです」

また、一橋大学との接点が意外なところにもあった。日本語学校の先生の夫君が一橋大学のOBであり、当時経済学部長だった小野旭教授(1997年退官、名誉教授。2010年没)の友人だったのである。
「小野先生は、私の専門である労働経済学の権威ですから、先生の業績については韓国の院で学んでいるときからよく存じ上げていました。日本語学校の先生が、小野先生に引き合わせてくださって、感謝しました」

博士課程1年のときに小野教授が退官、その後は、中馬宏之教授が指導教官を引き継いだ。博士課程修了後は、中馬教授の紹介もあって東京都立大学(現、首都大学東京)の助手として働きながら学位論文を執筆、2002年に博士号を取得した。
韓国に帰国し、母校である延世大学校の東西問題研究所に勤務後、現在の韓国租税財政研究院で職を得ることになる。国税や財政などを学術的に調査分析するシンクタンクである同研究院にて、チョンハク氏は現在成果管理(財政事業自律評価)に携わっている。同研究院の役割は、各省庁から提出された予算管理や実行状況に関する報告書に対して評価し、点数が60点以下だと予算がカットされるという厳しい事業仕分けを行うことである。
「チェックポイントの策定から審査に至るまでのすべてのプロセスに携わっています。成果管理が終了したら、制度自体の改善点の検討や諸外国の類似制度研究なども行います」

日韓を股にかけて活躍する1人のグローバル観

対談中のご夫妻

「我が家では、うちは海外旅行に行かないね、とよく言います。日本に対しては海外という意識がないからです」とジヨン氏は笑う。では、グローバルについて、お2人はどう考えているのか。
「韓国では日本学を専攻することはグローバルな学問を学ぶこととはとらえられていません。グローバルの基準はあくまでアメリカ。経済学や社会学理論をアメリカで学べば理論や原論を韓国で教えられますが、日本で歴史学や社会学を学んだ場合、日本学の専門家という見られ方をします」と言うジヨン氏。
一方で、「韓国で日本学を学ぶ場合は、どうしても日本の特殊性に光が当たります。そのため、自分たちをグローバルな存在だととらえにくいのです。現在、大学の国際学部で日本学を教えていますが、アジア太平洋地域が同一経済圏に向かっていくなか、日本の特殊性ばかり強調していて良いのだろうかという懸念があります」との反省があるという。
チョンハク氏も、「グローバルといえばアメリカ」との印象が強いという。
「経済の世界ではアメリカの経済学が標準です。日本でも同様ではないでしょうか。日本にくるというのは、ある程度は日本の特殊性を意識しているからです。これはドイツについてでもイギリスについてでも同様です。日本でもグローバル化というとアメリカ、あるいは欧米を意識しているのではありませんか」と語り、次のように続けた。
「今グローバルについての議論が盛んになっているのは、アジアの人たちにもグローバルの基準が必要だと考えられているからではないでしょうか。国単位の競争ではなく、アジア全体を意識した標準を新しく生み出す必要があるでしょう」

外国語で高度な学問を学ぶことは大変だが楽しいことだ

チョンハク氏2

外国語で高度な学問に挑んだお2人に感想を聞くと、ジヨン氏は、「母国語以外の言語で高度な学問を学ぶことは非常に大変なことです。しかし、それは楽しいことでもあります」と言う。たとえば、「国立で知り合った市民の皆さんからは、生活を通じて大きな刺激を受けましたし、考え方の違いなどにも気づかされました。また、研究面では、歴史学の研究者になるというのは韓国ではある種のプレッシャーがありますが、国外ではそれから解き放たれて個人としての自由な研究ができました。本当の意味で、学ぶ楽しさを実感しました」。さらに感じたこととして、「これまで近代史で学んだ日本と、市民目線で感じた日本には、大きなギャップがありました。本で読んだ国に旅行者として訪れるのと、実際に生活するのとではかなり違いがあります。外国で生活することは、人間理解、文化理解という点で、重要な意味があると思います」。

チョンハク氏も、「チャンスがあるなら、絶対に外国に行ったほうがいいと思います。異文化に身を置くことで理解力に磨きがかかります。私自身は、学部生時代から言葉も価値観も習慣も違う国で学びたいと考えていました。それが私の場合は日本だったということです。韓国でも勉強はできますが、視野を広げるには限界があります。価値観が違う人たちと付き合うことで、人として成長できたように思います」と海外で学ぶことを勧める。

学ぶ環境としての一橋大学とそこから得られた収穫

ジヨン氏2

ジヨン氏は、一橋大学で異分野の研究者との交流を通じて衝撃を受けたという。「たとえば、私が接した経済学の先生は市場開放や金融問題などグローバルな問題に肯定的な立場を取っていました。歴史学との違いを実感し、自分の研究のあり方についての疑問さえ感じたものです。違う分野の学問の立場や違う政治信条を持っている人の話に耳を傾けられるようになったのは、一橋大学で学んだからです」

同様の感想をチョンハク氏も持っている。「これまでは経済学分野の人間に囲まれていて、ものの見方が一定の範囲のなかに留まっていました。一橋大学は社会科学の研究総合大学ですから、異分野の知識を容易に得ることができます。しかも各分野の垣根がほとんどない。『なぜ?』と考えるきっかけが豊富です。何よりも、自分が知らなかったことについて、即座にハイレベルな答えがあちこちから返ってくる。この環境は魅力的ですね」

さらにジヨン氏は、一橋大学のキャンパスについても魅力を感じていたという。「兼松講堂の静かな雰囲気、木の下で読んだ本、キャンパスの散策......と、一橋大学には静かに考えられるスポットが多いのが魅力です。図書館も外観が素敵で、中身も充実しています。うらやましく思ったのは、先生方の研究室の天井に届くほどの高さがある本棚です。そのなかからいくつか貸していただきました」と振り返る。
大学で日本学を教えるジヨン氏は、たまたま教材として用意したアニメ「おおかみこどもの雨と雪」を懐かしく眺めたという。出だしの部分で、一橋大学の図書館や国立の街が描かれていたことに感動したのだそうだ。
学問の探究を求め、日本にわたり、共に一橋大学で学び、そして伴侶と出会う。お2人にとって一橋大学にはかけがえのない思い出が詰まっているようだ。

ENVIRONMENT

学びの環境