法学部 刑法II/青木孝之教授

(『HQ』2016年春号より)

青木孝之教授

青木孝之教授

元裁判官による実践トレーニングが養う"問題分析・解決能力"と"表現力"

法学と聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか。分厚い六法全書に収録されている法令の研究・理解に励む。法曹界を目指していない学生にとっては難解で縁遠い。それが一般的かもしれない。しかし今回ご紹介する授業『刑法II』を受講すれば、イメージは一転するだろう。
授業を担当する青木教授は、日本でトップクラスの司法試験合格率を誇る一橋大学法科大学院の教壇にも立つ、刑事法の研究者。刑法とは、犯罪の成立要件やその刑罰を定める法律だが、青木教授が授業の目標として掲げているのは"問題分析・解決能力"と"表現力"の修得だ。フィールドを問わず、実社会での汎用性が高い実践的なスキルの修得を目指す点に大きな特徴がある。

法学を通じて養うのは、物事の"考え方"や、真実を"嗅ぎ分ける力"

「法律を"知識"としてインプットするような受験勉強スタイルはやめなさいと、学生にはつねづね話しています。社会で期待されるのは、法律的な物事の"考え方"であり、真実を"嗅ぎ分ける力"。そこで授業では、問題点を洗い出して考察し、解釈することで"問題を分析し解決する能力"を身につけてもらいます。一方で、自分の主張を相手に納得させるためには"表現力"がものをいいます。具体的には"書く力"で、これを修得するためには、アウトプットの訓練が欠かせません。そこで、事例式の演習問題を出題し、レポートの提出を通じて鍛錬しています」
出題する際には記述のお手本を配布し、提出されたレポートに対する講評コメントを実施するという青木教授。昨年度の受講生は200人を超えたが、その一人ひとりに対して2つの能力を修得させるための労を惜しまない。

実際に起きた"事件"を教材に各論を学び、総論をつかむ

青木教授による講義の様子

授業の目標は"問題分析・解決能力"と"表現力"の修得

演習問題の題材として与えられるのは、私たちの身の回りで起きている具体的な"事件"だ。一般的には総論から各論へと展開されることが多いが、逆の流れになっている。その狙いについて青木教授に尋ねてみると、自身も大学で法律を学んだ経験から答えてくれた。
「もちろん学問的な体系はとても重要です。ただ学生時代、概念や理論といった総論から勉強していく中で感じたのは"ハードルの高さ"でした。学ぶ面白さを感じられないと、法学部生といえども意欲は高まりにくいものです。その点、具体的な事件を題材にすれば、誰もが関心を持ちやすいですし、実践的な発想も湧いてきます。私が普段から意識しているのは、法曹界を目指していない学生にとっても収穫のある授業です」
『刑法II』は法学部生の必修科目だが、どの学部生でも履修できる。対象は1・2年次。座学が多い時期だが、演習を意識した授業だけに学生を飽きさせないだろう。

線引きが難しい問題を扱うからこそ、"高度な職業人"の礎になる

講義中の青木教授

"元裁判官"という実務家出身の青木教授。
具体的な"事件"を題材にして、学生が関心を持ちやすく実践的な発想ができる授業を展開している

事件を題材に白熱した授業を進められるのは、青木教授が"元裁判官"という実務家出身だからでもある。原告と被告の間に立って審判を下してきた数々の経験が、講義にリアリティーを生み、授業に夢中になる学生が少なくない。
「刑法が扱う犯罪や刑罰は、倫理的・哲学的なテーマであるだけでなく、誰もが議論に参加できる身近なテーマであることも特徴です。たとえば、死刑制度を肯定するか、否定するか。会社の取締役が何をやれば横領や背任にあたるのか。ディベートの材料は尽きません」
是非の線引きが難しい問題について考え、集めた情報を取捨選択しながら解釈し、主張の妥当性を論証する。そんな週2回・毎回90分間のトレーニングが、高度な職業人として活躍できる礎を築くことに疑う余地はないだろう。

事例式演習問題・論述例

【演習問題】下記の事例におけるの罪責を検討せよ。

Xは、いわゆるホームレスであり、しばしばL公園で置き引きをするなどして生活費の足しにしていた。ある日の午後5時40分頃、同公園のベンチに座った際、隣のベンチでA(23歳、女性)が友人とおしゃべりに夢中になっているのを認め、もしAがベンチに置いたポシェットを忘れたならばこれを持ち去ろうと考え、様子をうかがっていた。はたしてAはポシェットを置き忘れたまま、午後6時20分頃、友人を駅に送るためその場を離れた。Xは、Aが気づく様子もなく公園出口にある横断歩道橋を渡り、上記ベンチから約27メートルの距離にある階段踊り場まで行ったのを見て、回りに人もいなかったことから、今だと思って上記ポシェットを取り上げてその場を離れ、公園内の公衆トイレに入り、ポシェット内から現金2万円を抜き取った。Aは、午後6時24分頃、駅構内でポシェットの置き忘れに気づき、公園に取って返し、たまたま公衆トイレから出てきたXと遭遇した。トイレ内にポシェットが放置されていたことからAはXを詰問し、やがて110番通報により駆けつけた警察官に対し犯行を認めたことからXは緊急逮捕された。

【参考論述例】

刑法第235条の窃取とは、占有者の意思に反して財物を自己または第三者の占有下に移す行為である。本問では、XがAの置き忘れたポシェットを取り上げた時点で、Aの占有が未だにポシェットに及んでいたかが問題となる。
占有とは、財物に対する事実上の支配であるが、事実上の支配の有無は、第254条の遺失物横領罪との的確な区別のためにも、財物自体の特性、占有移転の有無が問題となる時点における本来の占有者と財物の時間的・場所的近接性などの客観的・外形的な事実に加え、当該財物に対する占有者の占有意思が及んでいたかを勘案して、総合的に判断すべきである。
これを本問についてみると、ポシェットはそれ自体、価値ある物であるとともに、社会通念上、現金・財布など経済的価値の高い物を収納しておくことの多いものである。また、Xがポシェットを取り上げた時点において、Aが公園のベンチを立ってから約4分しか経過しておらず、距離も約27メートルしか離れていない。しかも、Aはうっかりポシェットを置き忘れたものであり、逸失してもやむを得ないといった意思は当然ないから、抽象的なものにせよ占有意思の存在を認めることができる。
以上によれば、本件ポシェットは未だAの占有下にあったといえる。よって、Xの行為につき窃盗罪が成立する。

Student's Voice

興味は、歴史から法曹界へ。『刑法II』は私にとって、運命を変えた授業です

岸本 健さん

岸本 健さん

法学部3年

一橋大学の法学部を志願したのは、国際関係コースがあったからです。もともと世界史を深く勉強したいと思っていました。つまり、法律にはあまり興味がなかったのです。そんな私でしたが、現在目指しているのは法曹界。進路を大きく変えるきっかけになったのが、まさに『刑法II』の授業でした。
法律を勉強する面白さを知ることができたのは、青木先生が裁判官というキャリアをお持ちで、"学問"というよりも"実務的な内容"が多かったからだと思います。検察側と弁護側、双方の主張を踏まえてジャッジするのが裁判官。法曹界で最も多様な知見や視点を持つプロフェッショナルだと思います。ですから、犯罪の事例をもとにした講義には説得力がありますし、先生から学んだことは数えきれません。
"表現力"を身につけるためのレポート提出では、犯罪事件に刑法の条文と解釈を当てはめていきます。地道なプロセスの繰り返しですが、とても汎用性の高い"書く力"がつくことは間違いありませんね。なぜなら、法律を解釈し、事実を認定し、妥当性を証明する文章というのは、あらゆる文章の中で最も論理的で普遍的なものだからです。取り組むうちに、自ずと実務の流れも把握できるようになりますし、理解力のアップや学習法の修得につながっていくことも大きなメリットです。
法曹界を目指していると話しましたが、具体的には弁護士になりたいと思っています。社会的弱者を救済したいという思いが強いからです。司法試験に合格するため、どんな進路を選ぶべきか、卒業後について考えているところですが、青木先生が授業を担当されている一橋大学法科大学院への進学に、気持ちが動いています。(談)

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