山梨県立富士河口湖高等学校
2024年12月26日 掲載
一橋大学の2024年度入学志願者数は4460人、入学者数は972人であった。近年は入学者の約7割が関東圏の1都6県出身であり、地域的に一極集中の傾向が続いている。全国から優秀な学生が集う大学を標榜し、『HQ』では、教員が出身高校を訪れる連載企画『母校を訪ねて』を実施している。今回訪れたのは、青木人志法学部教授(前理事・副学長)の母校、山梨県立富士河口湖高等学校(以下、富士河口湖高校または河高)。同校の加藤幸一校長、石原誠教頭、渡邊繁博総務主任との対談の中で、富士河口湖町と富士吉田市の境界にまたがる広大な敷地内で行われる地域の特色を活かした学びについても浮き彫りになった。
渡邊 繁博総務主任
加藤 幸一校長
青木 人志教授
石原 誠教頭
富士河口湖高校へ1期生として入学
今もなお続く母校との交流
2024年9月24日、山梨県を走る富士急行線河口湖駅は海外からの観光客で賑わっていた。青木教授の母校、富士河口湖高校は駅から徒歩約15分のところにある。青木教授は同校の1期生。当日は、ご自身も同校の卒業生で5期生の加藤幸一校長、7期生の石原誠教頭、5期生で総務主任の渡邊繁博教諭が迎えてくださった。
富士河口湖高校は、山梨県南都留郡富士河口湖町に位置する全日制・普通科の県立高校である。創立は1977年。2026年には創立50周年を迎える。2024年時点での生徒数は全校で約470人。昨年度までに1万2554人の卒業生を送り出している。校訓は「仰峰不屈・好学愛知・真摯敢闘」、教育方針は「心のゆたかな人間を育てる」である。
青木教授が1期生として入学した当時は、学区内で山梨県立吉田高等学校(以下、吉田高校)との総合選抜制が取られており、青木教授は新設の富士河口湖高校へ入学することになった。山梨県で行われていた総合選抜制の下では、県立の普通科高校を受験する生徒は特定の高校を選択するのではなく学区を選択。男女比や成績などが加味され、学区内で進学する高校が指定される方式であった。(2007年に廃止)
青木教授の2人の兄は吉田高校へ通ったが、自身は新設の富士河口湖高校へ1期生として通うことになり、「とてもわくわくした」と話す。そして、「充実した3年間を過ごせたのは、河高(かわこう)の1期生だったから」と振り返った。入学当初、富士河口湖高校には正門すらなかったという。
加藤校長が用意してくださった1期生の卒業アルバムを開くと、そこには、整備される前のグラウンドの写真があった。
青木教授が写真を見ながら「体育の授業中に石拾いをしたんですよ」と懐かしそうに話すと、石原教頭も「その話は伝わっています」と応じた。富士河口湖高校は富士山から流れ出た溶岩によって形成された地帯にあり、開校当時のグラウンドには、まだ溶岩がそこかしこに転がっていたのだという。
「体育の授業でラグビーをすることになったのですが、溶岩のあるグラウンドでは危なくて競技ができない。だからまずグラウンドの石を掘り出すところから始めました。そんなエピソードもあり、1期生は物理的にも自分たちで学校をつくったという実感があるのではないでしょうか。いい思い出です」(青木教授)
青木教授は、自身が卒業する頃にようやく3学年分の校舎が出来上がったと振り返る。松林を切り拓いて作られた新設校だったため、入学前に通学路を確認しに来たとき、道行く人に聞いても誰も分からなかったという。入学後も模擬試験で高校名を「富士河口湖」と書いたら、成績票に「不明」と表記されたこともあったそうだ。
加藤校長が取り出した創立の歩みを記したパンフレットには、1期生の入学式の写真もあった。「これ、私ですね」と青木教授が指を差した先には、新入生代表の挨拶をする青木少年の姿があった。
「首席で入学したので、入学式で挨拶をしたんです」と青木教授。「この時、学校創立以来、最高の秀才って言われたんですよ」とのジョークも飛び出した。学校が始まった初日なのだから、この日に一番であれば、学校が始まって以来の秀才であることに間違いはない。
離れることでより強く感じる
ふるさとの良さ
「私が7期生として入学した時には、青木さんはすでに伝説の人でした」と石原教頭が証言する。石原教頭が富士河口湖高校に入学したとき、青木教授は卒業して4年が経っていた。
石原教頭が聞いたという"伝説"は、「河高から東京大学に入れるほど成績優秀な人がいたのだけれど、その人は一橋大学にしか興味がなかった」というものだった。加えて教頭が指導を受けた当時の先生方からは、「青木先輩は本当にしっかり勉強をして一橋大学に入学した。後輩の君たちにもできるはずだ」と言われたものだという。
「たしかに、予備校の模擬試験などで全国1番をとったことが何度かあります。当時の校長に呼ばれて、東京大学を受けないかと言われたこともあるのですが、私の父、兄、叔父が一橋大学を卒業しており、私自身、中学生の時から一橋大学へ行くと決めていました。初志貫徹して一橋を受験して、大学にも首席で合格したんです」と青木教授。大学卒業後は研究者の道に進み、助教授、教授、法学研究科長・法学部長、理事・副学長と、長年、一橋大学に奉職することとなった。
ただし、青木少年は、富士河口湖高校で過ごした3年間を、勉強だけに費やしたわけではない。
「私は学校が大好きでした。特定の部活動には入っていなかったのですが、音楽部(当時)に誘われて歌ったり、卓球部の友人に誘われて一緒に卓球をしたりすることもありました。学園祭の寸劇で女子生徒と一緒に『世界は二人のために』を歌ったこともありました。授業も学園祭も人一倍楽しんで、家に帰ってからは勉強をするという毎日でしたね」(青木教授)
「私が一橋大学の教授や副学長になったときも、ふるさとの多くの友人が喜んでくれましたし、2期生で元プロレスラーの武藤敬司君の活躍も、私はもちろん、みんなが喜んでいます。みんながみんなを知っているのがふるさとの温かさ。ただ、その温かさを面倒に感じる時期も、特に若いうちはあると思います。そんな気持ちから一旦都会に出るのだけれど、一度出たからこそふるさとの良さがいっそうよく分かって、ことあるごとに戻ってきてしまうんですよね」と笑顔で頷く青木教授。
「河高にはときどき、突出した才能を持つ生徒が在籍します。けれども、そういった生徒が学校の中で特別な扱いをされるといったことは、あまり聞いたことがありません。まわりのみんなも活躍を応援するし、本人も周囲に溶け込んでいます。お互いを気遣いながらやさしく接することができる生徒が多いように感じています」(渡邊教諭)。その一方で、視野の狭さを危惧しているとも話し、「一度、地域の外に出て全然違うことを経験する時期も大切だと思います。ショックを受けるかもしれないけれど、その経験があるからこそ地域の良さにも気づけるのではないでしょうか」と渡邊教諭は付け加えた。
新しい時代に即応した
「生きる力」を育む「総合的な探究の時間」
富士河口湖高校には、法学者である青木教授を筆頭に、突出した才能を持ち活躍する卒業生が多くいる。上記の武藤敬司氏、プロダクトデザイナーの柴田文江氏、カヌースプリントでオリンピックに出場した藤嶋大規氏、東洋大学チームで箱根駅伝の「山の神」となった宮下隼人氏らだ。その活躍の場は多岐にわたる。国立大学の教授、引退後もタレントとして大人気の元プロレスラー、世界的に著名な工業デザイナー、2度もオリンピックに出場したオリンピアン、日本中が注目する走者。これはまさに、近年よく言われる「多様性」ではないだろうか。
「河高は、世界中から観光客が集まる富士山の麓にあります。立地的には非常にグローバルな場所にある。この環境を活かすことができるといいですね。学力も重要ですが、まずは生徒が面白いと思える学校であることが大切でしょう。ここで高校生活を送ったからこそ、今の自分がある。私もある意味で、生きる力を河高で育めたと思っています。私の場合はたまたまそれが勉強であり、それが今の大学教員という仕事に結びついたわけです。また、武藤敬司君ならば、柔道の山梨県チャンピオンからプロレスの道に進み、スーパースターになった。2人とも高校時代に職業人生の土台が築かれたわけです。今後も卒業後の人生の選択につながる個性教育が、河高でできるといいですね。」(青木教授)
「開校からしばらくは、進学実績を上げようとしていたと思います。しかし、最近は少子化の影響もあって生徒数が減ったこと、大学入試の方法も多様化する中で、状況はかなり変化しています。以前は一般受験で国公立大学へ進学する生徒もいましたが、近年は総合型選抜入試や学校推薦型選抜入試で進学する生徒が大半を占めています。現在では、9月から11月頃までが、大学受験のピークとなっています。河高でも受験対策の方向性は変わってきていて、一般受験を想定した指導を行いながらも、総合型選抜入試に向けた指導として、『総合的な探究の時間』への比重が高まっています」(加藤校長)
富士河口湖高校では、「総合的な探究の時間」をKIP(Kawako Insight Program)と称し、身近な地域や環境の課題について主体的・協働的な探究活動を実施している。1年次は地域課題について知ること、2年次は地域課題について考えること、そして3年次は1・2年次の学習をベースに地域課題解決のための手法を発信することを行っている。
「特に3年生には、KIPを通して自分自身の進路実現につながる学びにしてもらいたいですね」(石原教頭)。進路実現に向けて、高校生としての考えを「発信」するところまで指導しているのは、富士河口湖高校の特色の一つである。KIPに力を入れることで、新しい時代に即応した「生きる力」を育み、地域社会に貢献できる人材を育成することを目指している。
富士山の麓で育まれる真の多様性
富士河口湖高校の取組を聞いた青木教授は、「今でこそ多様性の時代といわれていますが、私の在学中から河高の生徒は非常に多様性に富んでいました」と語る。同期生の卒業後の進路も、3分の1が大学に進学し、3分の1が専門学校に進み、3分の1が就職を選んでいた印象だったことを踏まえ、「進学一辺倒の高校ではなかったがゆえに、勉強は人に教わるのではなく自分でするものだという強い自覚が生まれ、その姿勢は大学に入ってからも役立った」と強調した。
「学校は、器は与えてくれるけれど、その器をどう生かすかは自分次第だと思います。私自身は河高で過ごした3年間をフルに楽しみました。その結果、今もなお交流がある友人が地元にたくさんいます」と青木教授は語り、自身の経験を踏まえ「人生は人間関係が一番大切。高校で良い友だちをたくさんつくって、そこが生きるための基盤をつくれる場所であってほしい」と母校にメッセージを送った。「河高には、地域ならではの教育の面白さがあると思っています。いずれ高校を卒業して都会に出たときに、地域の底力を発揮してもらえるような教育をしていきたいと思います。現在、富士河口湖町には、富士山や逆さ富士を見に世界中から観光客が訪れています。町民からすれば、いつも見ている代わり映えのない風景です。それが観光資源だと気づくためには、一度外から地元を眺める必要があるのかもしれません」と加藤校長は語る。外へ出て気づいたことを地域へ還元するのは、河高の卒業生ではないか。地域の未来を担う人材の育成は、河高の使命の一つでもあるのだろう。
座談会を終え、卓球部の放課後練習に参加した青木教授。自ら高校生にダブルスの試合を挑むなど、母校での時間を心から楽しむ姿が見られた。最後に「その学校が良い学校かどうかは、半分以上はあなたたち生徒が決めることです。ぜひ高校生活を楽しんで。良い友だちをたくさんつくってください」と後輩たちにメッセージを残し、青木教授は母校訪問を終えた。