鹿児島県立鶴丸高等学校
2023年7月3日 掲載
関東圏1都6県出身の入学者が約7割を占める今、全国から優秀な学生が集まる国立大学へと原点回帰することが課題ともいえる一橋大学。そうした中で、課題解決のヒントを探るとともに、本学の魅力を伝えるべく教員が出身高校に赴く連載企画『母校を訪ねて』。コロナ禍で3年間中断していたが、このほど、経済学研究科の山重慎二教授が鹿児島県立鶴丸高等学校(以下、鶴丸高校)を訪問しての再開となった。県下トップクラスの進学校であり、"For Others"の精神と生徒の自主性を尊重する校風が特徴的な同校。その近況を伺うとともに、一橋大学に関心のある生徒たちに本学の実像を伝えることができた。
前田 光久校長
小島 健志教頭
渡辺 豊隆教頭
蓮香 尚矢進路指導課主任
鶴丸高校生が指針とするFor Othersの精神が刻まれた石碑の前で。
左から蓮香教諭、小島教頭、渡辺教頭、山重教授
"For Others"の精神の
大切さを社会で実感
「鶴丸生」が完成する
2023年4月5日、春休み期間を利用して、取材班は山重教授とともに、同教授の母校である鶴丸高校を訪ねた。当日は前田光久校長、小島健志教頭、渡辺豊隆教頭、および進路指導課の蓮香尚矢主任がご対応くださった。さらに、テスト前という忙しい時期にもかかわらず、一橋大学に関心があるという9名の生徒さんたちも集まってくれた。
同校は、島津氏の居城である鹿児島城の愛称「鶴丸」から校名が付けられており、1949(昭和24)年に、鹿児島県立の第一高等女学校、第一中学校が統合されて設立された。大本を辿れば1894年の鹿児島県尋常中学校の創立から2024年に130周年を迎えるところだ。
建学理念は「好学愛知」「自律敬愛」「質実剛健」であるが、より知られているのは"For Others"の精神であろう。これは1965年に第5代校長の栗川久雄氏が提唱したもので、中庭にはこの言葉が刻まれた石碑が建てられている。
「『卒業して、ようやく鶴丸生になる』という言葉があるとおり、"For Others"は発達段階にある高校時代にはピンとこないでしょうが、社会に出るとその大切さが身に染みるようになるものだと思っています」と蓮香主任が話すと、山重教授は「まさしく自分がそうでした」と応じた。
卒業生には政治家や官僚、首長をはじめ、企業経営者やマスコミ関係者、学術研究者などが連なる。その中の1人である山重教授は、生徒さんたちの前で自己紹介を行った。
1962年に鹿児島市で生まれた山重教授は、鹿児島銀行に勤める転勤族の父親とともに子ども時代は県内を転々とする。中学生になる頃には落ち着き、鹿児島市立伊敷中学校を経て鶴丸高校に進学した。高校時代はソフトテニス部と英語研究部に所属し、"文武両道"の高校生活を楽しく過ごしたという。そんな山重教授が一橋大学に進学した動機について語った。
「そもそも受験勉強にはそんなに熱心ではなく、小学校の頃から学習塾や予備校などには一度も行きませんでした。ですから大学受験もどこの大学に行くかということにはあまり関心がなく、いい大学にどこか行くことができればいいぐらいに思っていました。けれども、何を学ぶかは高校2年の頃から割と真剣に考えるようになりました」と山重教授は生徒さんたちに語りかけた。
世界史の授業で聞いた
「不況が戦争の原因」説が
経済学を学ぶ動機に
そんな山重教授が経済学を学ぼうと思ったきっかけは、世界史の授業。その先生から、「第二次世界大戦が勃発した原因の一つは、1930年代の世界的大不況だった」と学んだ。
「『もし世界大不況が発生しなければ、第二次世界大戦は起こらなかったかもしれないのですよ』と説明されて、経済を安定させることが平和につながると知ったのです。経済情勢が良ければ、戦争でたくさんの人の命が奪われることもない。つまり、経済学は人の命を救う学問であると。文系だった自分にもできるのはこれだと思ったのです」
そう話した山重教授は、「不況になると自殺者が増えることも経済学的には常識となっている」と語り、目下進行しているロシアによるウクライナ侵攻にも触れて、生徒さんたちに経済学の意義を次のように強調した。
「医学は、病気やケガを治すことで人命を救えるでしょう。けれども、戦争を止めてウクライナの人たちの命を守るためには、政治そして経済に関する知見が不可欠です。不況による自殺も然りです。経済を安定させることで人の命を救うことができるのです。ここに経済学が力を発揮する意義があると考えています」
その経済学はどの大学で学ぶのがいいのか。ピックアップしたのは東京大学、京都大学、そして一橋大学。当時、東京大学と京都大学の経済学部ではマルクス経済学が主流であった一方、一橋大学は近代経済学が主流であった。そこに引かれるとともに、自分の学力にも合っていると思い、一橋大学を第一志望として受験勉強に励んだ。
「大学に入ってからも、世界史の先生の言葉が頭から離れず、1930年代の世界大不況の原因と経済政策について研究し、卒業論文にまとめました。そんな研究が面白くて、大学院に進みました」
ゼミの指導教官の石弘光教授から留学を勧められ、修士課程修了後にジョンズ・ホプキンス大学で学び、経済学の博士号を取得する。その後、トロント大学経済学部助教授の職に就き、計8年間を北米で過ごす。1996年に一橋大学経済学部講師となって以降、本学で教育と研究を続けている旨が話された。また、2017年に鹿児島銀行の社外取締役に請われ、父親の勤務先であったという深い縁も感じて就任。「そのおかげで、毎月のように鹿児島に戻れて嬉しく思っています」と相好を崩した。
鹿児島から、東京、アメリカ、カナダなど、異なる環境に飛び込んで暮らした経験を踏まえて、山重教授は「それぞれの環境が相対化でき、日本や鹿児島の魅力を再認識できるようになりました。皆さんも、できればいろいろな場所で生活し、新しい世界に飛び込んで自分の認識を広げるといいと思います」と語りかけた。「ふり返ってみると、高校卒業後の私の学びや仕事の根底には、自分を磨いて誰かのために役立ちたいという"For Others"の精神があったように思います」
一橋大学の説明と
生徒からの質問で
魅力の認識を深める
自己紹介の後、山重教授は生徒さんたちに一橋大学の入学案内パンフレットを配布して説明を始めた。1875(明治8年)に森有礼が商法講習所を私設したことが、一橋大学の原点となった。その森有礼は薩摩藩士であり、一橋大学と鹿児島との特別なつながりを山重教授は強調する。
「数え39歳で初代の文部大臣に就任した森有礼は、19歳の時に薩摩藩の海外派遣留学生15名の中の1人に選ばれ、イギリスに向かいました。その後、外交官としてアメリカにも赴任するなど、日本の開明期にあって海外を広く見てきた人物です。その森が29歳の時に開学した商法講習所は、設立当時から英語を教え、国際的に活躍できる人材の養成を行いました。一橋大学はその理念を受け継いでいるわけですが、2014年に『森有礼高等教育国際流動化センター』という森の名前を冠する組織を設置し、その理念継承を明確にしました。実は私も一橋大学に入学後、森有礼とのつながりを知りましたが、同じ鹿児島出身者として感慨がいっぺんに深まった記憶があります」
続いて山重教授は、少人数によるゼミ教育、国際交流や海外留学制度、ソーシャル・データサイエンス学部設立というチャレンジ、母校を幅広く支援してくれる如水会の存在といった一橋大学の魅力的な特色について説明する。
そして、集まってくれた生徒さんたち一人ひとりから質問をしてもらった。
「部活やサークルについて詳しく知りたい」
「地方から上京するに当たり、学生寮について知りたい」
「山重先生から見た一橋大学の魅力、一橋大学生の特色とは」
「主な就職先を教えてほしい」
「法曹になることに関心がある。司法試験対策はどういったものがあるのか」
「男女比はどのくらいか」
「ゼミの種類はどれくらいあるのか」
こうした質問は高校生の関心がどこにあるのかを知る貴重な手がかりとなった。山重教授は一つひとつに答え、生徒さんたちとの会を終えた。
生徒から質問を受ける山重教授
県外志向が強く、進学先は
九州、関西、関東の
国公立・私立大学が中心
蓮香主任には、同校の進学状況やキャリア教育の特色を聞いた。
まず、進学状況。令和4年度の大学入試合格者としては、総合計557(うち現役269)名中、国立大学が計217(同127)名。その中では、地元の鹿児島大学が医学科を含め78(同53)名。次に九州大学が41(同29)名、熊本大学が13(同6)名と近隣の大学が続く。次に広島大学が10(同6)名。関西地区は、大阪大学8(同2)名、京都大学7(同4)名、神戸大学3(同1)名、関東地区では、東京大学が6(同4)名で、筑波大学、千葉大学、東京外国語大学、東京学芸大学、お茶の水女子大学、横浜国立大学がそれぞれ4(同1~3)名ということだった。一橋大学は2名で、いずれも浪人での合格である。
公立大学は計18(同10)名で、大阪公立大学が6(同1)名で最多。
私立大学は308(同125)名で、九州地区は西南学院大学の23(同20)名、福岡大学の17(同9)名、崇城大学の15(同6名)と続く。関西地区は立命館大学が32(同7)名、同志社大学が19(同6)名、近畿大学が15(同4)名と多い。関東地区は明治大学の24(同6)名、中央大学の16(同5)名、早稲田大学の15(同7)名、東京理科大学の15(同1)名が目につく。
「以前から関西や関東の大学に進学する生徒が多い傾向は変わりません。親御さんのご意向としても、たとえ鹿児島県庁に就職するにしても一度は県外に出たほうがいいと思われている場合が多いですね」と蓮香主任は話す。
そうした中にあって、山重教授が「地方の高校生に知名度が低い」と懸念している一橋大学について、蓮香主任は「決して低いとは言えないのではないか」と話す。卒業生の中には、1年次から一橋大学を志望し、入学したらWスクールで資格取得したいと話す生徒もいるという。
「関東地区の国立大学ではやはり東京大学が一番に想起されていますが、一橋大学は比較的実学的な傾向が強いところが魅力と認識している生徒や、社会学部がある珍しい国立大学として認識している生徒もいます。鹿児島の経済界で活躍されている卒業生の方も多く、親御さんの認知度も低くないと思います」と蓮香主任。
さらに認知度を高めるにはどんな施策が有効かという話になり、山重教授はSNSの影響を尋ねた。それに対して蓮香主任は「大学側が発信する情報よりも、在学生や卒業生が発信する情報に影響される生徒のほうが多いのではないでしょうか」と応じ、同校の生徒が一橋大学に進学した先輩から話を聞ける場が設けられると効果的ではないかと指摘した。
同校のキャリア教育についても尋ねた。主なものとしては、20年ほど前から行われている「Go鶴(ごうかく)セミナー」がある。1年生に対しては県内の社会人の先輩を招いて職場の話などをしてもらい、2年生に対しては修学旅行として東京に行き、先輩が就職している会社を訪問し、大学卒業後の姿をイメージしてもらうという内容だ。「ここまでの規模でこうした取組を行っている高校は、県内ではほかに聞いたことはありません」と蓮香主任は話す。
一橋大学の学生の特色を問われて、山重教授は「真面目で、課題をきっちりこなしてくる学生が多い印象があります。その点で、鶴丸高校の生徒像と重なると思います」と話した。"For Others"の精神と自主性を持った同校の生徒さんが1人でも多く一橋大学生となることを願って、山重教授と取材班は同校を後にした。