楽しく暮らせる場所で生きていきたい。自分の国籍を気にしたことはありません
- 商学部3年/ベトナム出身グェン・フォン・バオ・チャウさん
(『HQ』2016年夏号より)
グェンさんの母国ベトナムでは今、"日本語ブーム"が起きているという。ベトナム語に加えて英語を話せる若者は多いというが、第三の言語として日本語が注目されているのは、近年この国に進出する日系企業が急速に増えていることが少なからず影響している。人口9000万人以上という、ASEAN諸国でインドネシア、フィリピンに次ぐ消費市場に世界中から投資が集まり、経済発展も目覚ましいベトナムだが、グェンさんはブームに乗って日本に留学したわけではない。初めて来日したのは幼少の頃といい、通算すればすでに8年近く日本で暮らしている。だから名乗らなければベトナム人と気づかれないほど日本語も堪能だ。留学生としては異色の存在ともいえるが、なぜ一橋大学に入学し、どのようなグローバル観を持っているのか、話を聞きながら彼女の歩んできた道のりをたどってみよう。
両親の仕事の関係で日本へ。小学校時代を過ごし、"異国の地"となった母国
物理学者の父と、ニュースの翻訳・編集に携わる母を持ち、当時は一人っ子として育ったグェンさん。幼少の頃、父親の研究活動のために家族で日本に移り住んだことが、海外生活の始まりだった。
「父が活動を終えていったんベトナムに戻りましたが、1999年から再び日本で暮らすことに。母が東京にある放送局で働くことになったからです。私は住まいの近くの小学校に2年生から5年生まで通いましたが、私が日本語を話せるようになったのはこの時代のおかげですね。そして、母の任期が終わると同時にベトナムに帰国しましたが、日本の生活や習慣に慣れ親しんでいたので、母国にもかかわらずカルチャーギャップを感じたことを今でも覚えています」
ベトナムの人々からすれば"帰国子女"である彼女は、母国の中学校に入学。そして高校は、語学に特化した特別クラスがある国立高校に通った。"卒業後は留学させたい"という思いを持っていた両親からの勧めだったという。
「私自身も海外の大学で勉強したいと思っていました。ただ、8割近くが英語圏の大学に留学するクラスで、周囲にも早い時期から英語を学んでいる友だちが多く、合格のハードルは高いだろうと。そこで、得意な日本語を活かして留学を勝ち取ろうと思いました」
グェンさんは日本の大学への進学に目標を定めた。とはいえ、留学にあたっては多額の費用が必要だ。ベトナムと先進国では物価の差も大きい。彼女は両親に負担をかけまいと、学費と生活費の支援が受けられる日本の国費奨学金に応募することにしたが、一筋縄ではいかなかった。
「応募資格として、"現役合格かつ大学1年目の一定の成績"が必要だったからです。そこで、資格を得るためにいったんベトナムのハノイ貿易大学に入学することに。1年間学びましたが、国費奨学金の審査をパスすることができました」
入学の決め手は、"独立した商学部"がある国立大学だったこと
晴れて日本行きの切符を手に入れたグェンさんは、まず2013年4月から1年間、東京外国語大学にある留学生日本語教育センターに通った。そして、日本の国立大学の中から一橋大学に狙いを定め、2014年4月に入学した。
「高校生の頃からマーケティングに興味があり、中でも消費者行動について研究したいと思っていました。一橋大学に入学したいと思うようになったのは、ハノイ貿易大学入学後です。自分で日本の大学を調べていくうちに、独立した商学部を持つ大学に入りたいと思うようになったのです。そして一橋大学の存在を知りました。留学が決まった後に大学の先生に聞くと、一橋大学のMBAコースが有名だということを教えてくれました」
たとえば経済学部の中にマーケティングを学べるコースや授業科目があったとしても、経済と商学では学習対象が異なる。その点を踏まえた選択だった。グェンさんは入学当初、一橋大学にどんな印象を持ったのだろうか。
「まず感じたのは、教授の親しみやすさでしたね。コミュニケーションをとるにも堅苦しくなく、想像以上にカジュアルでした。日本人の学生も交流に慣れていて、私たち留学生が特別視されることもありません。大学生活を送りやすいことが一橋大学の良いところだと思います。学習環境では、少人数で学べることに魅力を感じました。そのほうが勉強していても楽しいですし、理解も深まって満足度は高いです」
商学部では1年次からゼミが始まることも魅力と話すグェンさんだが、自分の中で課題も見つかったという。
「1年次は慣れている日本語が中心でしたが、2年次からは英語でゼミが行われます。高校と貿易大学では英語に特化したクラスに所属していたこともあり、アカデミックな面では日本語より英語のほうが得意だと感じています。その意味では、英語で履修する授業は、比較的学びやすかった。一方日本語は、小学校5年生の時にベトナムへ帰国した後は日本語を学ぶ機会がほとんどなく、日本語でレポートを書いたり、専門書を読んだりすることには慣れていないと感じました。
大学2年次を終了し、本格的なゼミが始まるとアカデミックな日本語には多少慣れてきたものの、今度は使う機会が少なくなった英語が落ちているかもしれないと不安に思っています。ですから両方の言語をバランスよくレベルアップしたいと思っています。
卒業まで約2年間あるので、特に英語のレベルアップを図っていきたいですね」
もっとも心が落ち着く場所は、東京。人と人との"距離感"が好き
グェンさんはこの春に3年生となり、いよいよゼミ活動が本格化する。彼女が所属を希望しているのは、新興国のマーケティングを研究できるゼミだという。ちなみに学業のモチベーションは何かと尋ねると、
「もともと私は勉強することが好きなのです。何かを調査したり、レポートにまとめたりするのも辛いことではありません。それに、勉強するからには必ず成果を残したいですし、成績が悪い自分を許せません」
と答えが返ってきた。明るく、素直で、勤勉。それがグェンさんなのである。
一方で、名前を言わなければベトナム人だと気づかれないほど日本語が堪能な彼女。もっとも心が落ち着く場所は、生まれたハノイではなく、現在一人暮らしをしている東京だという。
「好きなところは、人と人との"距離感"ですね。心のつながりや相手を思いやる気持ちを持ちながらも他人に干渉しすぎない。ベンチでも、1人分の席を空けて座りますよね。つかず離れずという距離の置き方は、自分にとても合っています。ベトナムでは密な付き合い方を好む人が多いのですが、私は自分のパーソナルスペースを大切にしたいのです」
エネルギーをチャージするプライベートでは1人の時間を大切にし、勉学や仕事では人とのコミュニケーションを重視したいと話すグェンさん。ちなみに、休日は趣味のカメラを持って散歩をしたり、旅行に出かけたりすることが多いそうだ。所属しているサークルは、一橋大学の図書館を拠点に古本のリユース事業を行う『えんのした』。そして生活費の足しにと始めたアルバイトでは、縁あって以前母親が働いていた東京の放送局でラジオアナウンサーとして、日本に興味があるベトナム人向けに情報を届けています。
「現在の私は、読む時はベトナム語が、話す時は日本語が、聞く時は英語が一番スムーズです」
相手を理解できなくても、"受け入れる力"があればグローバルに生きていける
彼女は一橋大学を卒業後、どんな将来を思い描いているのだろうか。
「日本語と英語の両方を活かして働きたいと考えていますが、自分の能力を発揮できるのはどんな仕事なのかと模索中です。企業に就職するなら多国籍企業を希望しますが、デスクワークよりも、人とコミュニケーションしながら楽しさや喜びを提供できる仕事に就きたいという気持ちは強いですね。一方で、英語力に磨きをかけるために、欧米の大学院に進学するという選択肢もあると考えています。いずれにしても、はっきりしているのは、すぐベトナムに戻ることはないということです。世界を舞台に、好きな道を楽しみながら進んでいけばいい。そう考えているのは、私だけではなく両親も同じみたいです」
新興国からの留学生と聞けば、"母国に戻って成長発展に貢献する"といった将来像や使命感を想像しがちだが、彼女からは気負いのようなものは感じられない。考えてみれば、彼女の人生のフィールドは幼少の頃からグローバルなのだ。
「グローバルというと国を意識しがちですが、私は国籍というものを気にしたことがありません。それは生きていくうえであまり重要ではないと思うからです。自分の能力を活かせるフィールドがあって、楽しく暮らせる場所があれば、世界中のどこにいてもいいと思っています。一つの国の中にも、多様な文化や価値観があります。たとえ文化や習慣が異なっていても、その人をありのままで"受け入れる姿勢"があれば、共生していくことは難しくないと思います」
世界に踏み出せば、自分のアイデンティティやビジョンとして、母国の存在を挙げるもの。そんな先入観も前時代的と改めるべきかもしれない。日本のようにグローバル化を意識していること自体が、グローバル化が当たり前になっている海外から見れば遅れている。そんな実態を、グェンさんのリベラルでフラットな生き方や価値観は物語っているように思える。