地域住民との交流にまで発展したホッケー部の"草の根的"国際交流
- 一橋大学ホッケー部
(『HQ』2014年夏号より)
スポーツを通した国際交流に取り組む団体として、特色のある活動を続けているのが一橋大学ホッケー部だ。同部では、1994年から韓国・ソウル大学校との交流を開始。1年ごとに両校のホッケー部員が相手国を訪れ、定期戦やさまざまな行事を通して関係を深め、2013年には節目となる第20回が無事に開催されたということだ。
ホッケー部による国際交流への取り組みは、同部の創立70周年を迎えた1994年にスタートした。その前年に、OB・OG会である「一橋ホッケー倶楽部」の第4代会長に就任した竹内啓介氏(昭和32年卒)は、自身の提案により始まったホッケー部の交流活動について、次のように説明する。
「一橋大学のホッケー部は、戦前にはオリンピック代表選手を輩出するほどの国内有数の強豪チームだった時代もありましたが、現在は関東学生ホッケーリーグの上位に入ることも難しい状況です。私が会長になった際、まず考えたのが"この選手たちに何か誇りを持たせたい"ということでした。それがきっかけとなり、韓国の大学チームと交流戦をしてみてはどうかと思うようになったのです」(竹内氏)
その当時、保険に関連する自身の仕事の関係でソウルを訪れることが多かった竹内氏は、あるとき「世界で一番嫌いな国は日本」という韓国の世論調査の結果を目にした。日本国内では「国際化」「グローバリズム」という言葉が盛んに使われ始めた一方で、隣国から嫌いな国として名指しされている現実を知り、「このような状況で、日本が国際化を提唱して、意味があるのだろうか」と考えたという。そこで竹内氏は、日本の学生がその現状を打開するための友好関係を築くと同時に、ホッケー選手としてのステップアップを目指せる日韓の交流に意義を見出し、韓国の大学チームとの提携に取り組み始めたのである。
困難を乗り越えた歴史が20年の国際交流を支える
ソウル大学校との関係構築を目指し、まず竹内氏は在学中のホッケー部仲間だった長崎浩一氏(昭和32年卒)、豊田徳治郎氏(昭和32年卒)の両OBに協力を依頼した。長崎氏は金融機関、豊田氏は商社に勤務し、現地の駐在員として多くの人脈を築いていたが、その人脈を辿ることでソウル大学校ホッケー部のOBと出会うことができ、その縁で同大学ホッケー部監督の林繁蔵(イム・バンジュン)氏との話し合いの場が持てることになった。
「1994年春にイム先生と東京でお会いすることができたのですが、交流を始めることに関する話し合いはとてもスムーズに進みました。お互いに希望を出し合いながら基本的な協定を決め、7月にソウル大学校ホッケー部を一橋大学に招待して交流戦、経済セミナーを開催することで合意しました」(竹内氏)
その後、両校の学長が書簡を交わし、1994年7月9日から4日間の日程で第1回の交流戦が開催されることとなった。その後は1年ごとの両国訪問を繰り返し、開始から20年にわたって交流は続いている。しかしその歩みのなかで、相互訪問を困難にする問題にも遭遇している。1998年の第5回定期戦はソウル大学校側の来日が予定されていたが、韓国経済に大きなダメージを与えたアジア通貨危機の影響によって来日が不可能になった。
「ソウル大学校のメンバーが来日できない事態になった際に、私たちは急遽一橋大学がソウルに行くことを決めました。一度でも定期戦が途絶えてしまえば、再開するのが難しくなるという思いがありましたので、ホッケー部OB・OGの方々や如水会にも援助をお願いして、何とか訪韓を実現させました。この定期戦にかける熱意はソウル大学校の方々にも伝わり、大変感謝されたことを覚えています。そうしたお互いの思いが通じることで関係性が深まり、定期戦が20回続く要因になったのだと私は認識しています」(竹内氏)
2011年の第18回の定期戦は8月にソウル大学校側の日本訪問が予定されていたが、3月に発生した東日本大震災、原発事故の影響による開催中止が懸念された。しかし、ソウル大学校から「Don't worry, we'll goto Japan.」というメッセージが届き、日程の調整などを経て無事に開催することができたそうだ。これらのエピソードは、長年の交流が困難を乗り越える力を生み出し、さらなる関係強化につながったことを表している。
交流戦、経済セミナーを通して得る国際的感覚と視野の広がり
定期戦による交流がスタートした当初、韓国という国に対する関心は決して高くなかったと竹内氏は振り返る。今から20年前の1994年は、まだ韓国のTVドラマやアーティストの人気が高まる、いわゆる"韓流ブーム"が訪れる前であり、学生はもちろん、日本全体の韓国に対する意識は現在とは大きく違っていた。
「学生たちには"なんで韓国なんだ"という思いがあったようです。しかし、日本の学生の関心が低い一方で、韓国の人たちはもっとも嫌いな国として日本を見ているわけです。"隣の国に関心を持たなければその国は繁栄できない"というのが私の持論でしたので、最初の2年間は私自身が積極的に動いて定期戦をセッティングしました。そうして交流が始まり、学生たちも隣国を理解して親密になることの意味を理解できたのではないかと思っています」(竹内氏)
東京・小平での定期戦を実施した第1回に続き、翌年の第2回は一橋大学のホッケー部が韓国を訪問。メンバーたちは、広大な敷地を持つソウル大学校のキャンパスを訪れて学内の迎賓館に宿泊し、夜遅くまで韓国の学生とコミュニケーションをとったという。この交流によって、これまでにない体験と刺激が学生たちに与えられたはずだ。
その後も毎年の交流は続き、ホッケーというスポーツを共通点としながら互いの国の文化や歴史に対する理解を深めている。交流日程の2日目にはホッケーの試合が行われ、実力が拮抗する両チームの間で白熱した接戦が毎回展開されている。これまでの戦績は一橋大学の10勝4敗6分ということだ。また、試合同日の午前中には毎年経済セミナーも開催され、隣国の選手との試合同様、他国からの視点による経済学の講義と討論が学生にとって大きな刺激となっているようだ。このスポーツをきっかけとした交流について、ホッケー部のOBであり、日本での経済セミナーを担当することもある経済学部・蓼沼宏一教授は次のように語る。「当時の阿部謹也学長から、現在の山内進学長にいたる歴代の学長からも、この交流に対する取り組みは評価されていますし、一橋大学からの充実したサポートもいただいています。研究者間の学術交流と違い、学生同士の交流や関係づくりは難しい部分も多いと思います。大学や外部の団体が主導する交流プログラムというものもありますが、学生は決められた枠のなかで受け身になりがちです。スポーツを通して交流し、学生たちが自主的に動くからこそ本当の友人同士になれる。そうしたホッケー部の国際交流には大きな意義があり、だからこそ高く評価されているのではないでしょうか」(蓼沼教授)
ホームステイという苦肉の策が功を奏した真の相互理解への道筋
1996年の第3回からは、日本に訪問したソウル大学校の学生たちのホームステイを実施することになった。その理由について、竹内氏は「実は苦肉の策だった」と笑う。
「第2回の定期戦でソウルを訪問した際に、学生たちは迎賓館に宿泊させてもらうなど、大変よくしていただきました。そのお返しができないかと考えたのですが、予算面での都合もあります。そこで、近隣の方々にご協力をお願いして、韓国からくる学生たちをホームステイさせてもらい、日本の一般家庭での生活を体験してもらうことにしました」(竹内氏)
竹内氏が如水会々報を通してホームステイを引き受けてくれる家庭を募ったところ、1人の一橋大学OGが快諾。そこからほかの家庭の紹介へとつながり、竹内氏は一軒ずつ回って説明し協力をお願いしていった。
このホームステイは成功し、学生たちから、そしてイム先生をはじめとするソウル大学校関係者からも高い評価を受けた。その理由は、日本の家庭文化を知る機会を得ることができたということだった。国家や民族という大きな括りではなく、個々の付き合いから隣国の人々と理解し合うことにつながるという評価が、このホームステイの取り組みの結果として生まれたのである。
「韓国の学生はもちろん、大学の方々にも喜んでいただき、次回からもぜひホームステイでお願いしたいとおっしゃっていただきました。加えて、受け入れてくださった家庭の方々からも『私たちのほうが喜ばせてもらった』というメッセージもいただきました」(竹内氏)
ホッケーを通した国際交流活動のなかで、日本の文化や習慣を相手に伝えるということに関する重要な役割を、このホームステイという取り組みが担うようになったのである。現在では、「ホストファミリー・くにたち」が窓口となり、訪日したソウル大学校のメンバーを受け入れてくれる家庭を募っている。その団体の代表である山崎由紀子氏は、受け入れに応じてくれる家庭の方々は興味を持ってくれていると語る。
「外国の方に対する違和感はなく、それぞれの国にはどういう文化があるのか、という興味を持っている方が受け入れてくれています。そういう方にとっては、食べ物に関しても、また礼儀作法や習慣に関しても、他国の方々と文化交流ができることは嬉しいはずです。だからこそ、『喜ばせてもらった』という言葉をいただけるのだと思います。1年おきに、しかも3泊という短い期間ですから、受け入れるご家庭にとっての負担が少ないということも、喜んで受け入れていただける要因になっているのではないでしょうか」(山崎氏)
その文化交流が持つ意味の大きさを理解したことで、2012年からは韓国でもホームステイが始まっている。日本では近隣の住民に喜びを感じさせる文化交流にも発展したホームステイが、韓国においても同様の結果を生むことを期待したいところだ。
継続する国際交流の取り組みで"街と街"レベルからの関係性を築きたい
2006年からは、国立市児童館との連携による「キッズ・ホッケー」も開催されている。これは、一橋大学のホッケー部員が、ホストファミリーをはじめとする近隣の子どもたちとその両親などを招いて、ホッケーを楽しむというイベントだ。大学生が子どもたちにホッケーを教えながら、地域の方々との親交を深める取り組みとして、一橋大学のある国立市では多くの人々に認知されている。2013年のソウル大学校ホッケー部招待を担当した大杉飛翔さん(法学部4年)に、そのイベントの様子も含めて聞いた。
「ソウル大学校との交流については、最初は部員の関心はあまり高くありませんでした。でも、試合やレセプションなどを通して韓国の学生たちと打ち解け始め、ホストファミリーの方々とも親しくなりながら、徐々に全員が楽しめるようになってきました。『キッズ・ホッケー』では、子どもたちや地域の方々とも交流できますし、韓国の人たちとの交流だけでなく、地域のいろいろな要素を感じながら、お互いの理解を深められるのではないでしょうか。どちらのイベントも、気持ちの面で、かかわった人の誰もが楽しめるものになったので、とてもよかったと感じています」(大杉さん)
大学生が地域の住民たちと親交を深めることについて、山崎氏は次のように語る。
「国立という小さな街において、一橋大学は大きな存在ですから、その大学はどのような雰囲気で、どのような学生や先生がいるんだろう、という興味を住民たちは持っているんです。なかには『どうすれば、うちの子は一橋大学に入れるのでしょうか?』と聞いてくる保護者の方もいるぐらいです。ですから、ホストファミリーになることで、他国の方々はもちろん、一橋大学の学生と交流できるのは、地域住民としてはとても嬉しいことなんです」(山崎氏)
山崎氏によれば、ホストファミリーとして接した学生との関係を継続し、ソウルに会いに出かける地域住民もいるとのことだ。また大杉さんは、ソウル大学校の学生たちとは定期戦以外の部分でもつねにつながっており、DNDを通して日常を伝え合うほどの関係性ができ上がっているという。国を介した交流や決められた枠組みで向き合う交流ではなく、スポーツを通した交流だからこそ、しがらみなく心理的な距離を近づけながら"草の根的"に親交を深められるという魅力があるのかもしれない。
「今はすべて学生が主体となって定期戦を企画するので、日程調整のやり取りなど大変なこともあります。でも、貴重な経験、いい勉強をさせてもらえたと実感しています。何もしなければ海外の学生との交流の機会もありませんし、大学のなかに留まっていれば地域の方々と交流することもありません。いろいろなことが刺激になっていますし、この交流を通して経験したこと、学んだことは、社会に出た後に活きるのではないでしょうか」(大杉さん)
ホッケーというスポーツをきっかけに、海外の学生たち、地域の人々と交流する機会を創出している一橋大学ホッケー部の取り組みは、定期戦の開催という形で今後も継続していく。その先には、隣の国で暮らす人々との真の相互理解があると竹内氏は語っている。
「ある年の歓迎パーティで、『オレは国立が好きだー!』と叫ぶソウル大学校の学生がいて、それに応じて韓国語で叫ぶ一橋大学の学生がいる。そしてそこには『キッズ・ホッケー』に参加した地域の子どもたちが保護者の方に連れられてきている、という光景を目にしました。これはもう、私としては嬉しくて仕方がありませんでした。ホッケーというスポーツをやる選手たちが交流し、その交流から地域の方々との交流が生まれ、やがて日本の街と韓国の街の交流が生まれるようになればいいと思っています」(竹内氏)