グローバルとは、環境の変化に対して、自分をいち早く適応させることです
- 経済学部4年プランシリ・ブンカダさん
(『HQ』2014年冬号より)
母国・タイでは経験できないことにたくさん出合っておきたい
プランシリ・ブンカダさんはタイからの留学生である。母国では、優しいご両親のもと、三姉妹の末っ子として大切に育てられてきた。家族は全員、タイ王国最古の国立大学、チュラーロンコーン大学を卒業。当然、プランシリさんも母国での進学を期待されていただろう。しかしそうはならなかった。
「私は高校生の頃から『海外に行きたい!』と考えていました。いずれはタイで働くとしても、その前に、自分の国では経験できないことにたくさん出合いたかったからです」
しかも「いずれはタイで」という将来の働き方についても、プランシリさんは明確なビジョンを持っていたのだ。
「タイで会社を経営したいと思いました。でも起業する人は国内にたくさんいますし、タイ語と英語はできて当たり前の世界。そのなかで差別化を図るために考えたのは、経営についてしっかり学ぶことと、第三の言語を身につけることでした」
そこで選んだ留学先が日本だった。プランシリさんが高校生の頃、タイではちょうど日本がブーム。「ファッションやマンガなどを通して、日本に親しみを感じていた」と語る。そして高校3年生のとき、友だちと誘いあって受けた日本政府(文部科学省)奨学金試験に合格。一時はアメリカとも迷ったそうだが、安全かつ清潔で「住みやすい国」といつも思っていたため、日本に留学する決意を固める。以前家族で日本に旅行をしたことがあり、日本には好意的なイメージを持っていたという。
「親元を離れて暮らすのは、私にとって生まれて初めてのこと。日本なら、両親も安心してくれると思いました」
2009年、プランシリさんは来日を果たす。まずは東京外国語大学・留学生日本語教育センターで日本語を学んだ。日本語の習得に打ち込みながら、留学先をどこにするか絞っていった。
「まず『このまま東京に残りたい』という思いはありました。東京の国立大学ならどこがいいだろう?と考えていたとき、一橋大学の経済学部にタイからの先輩留学生が10人くらいいることを知りました。実際に話を聞かせてもらううちに、自分も一橋大学に入りたくなったのです」
入学試験に向けて学習を重ねた結果、プランシリさんは無事、一橋大学経済学部の学部留学生となった。経済学部を選んだ理由は三つある。一つ目は、前述のようにタイ人の先輩がいたことだった。
「二つ目は、得意な英語と数学を活かして経済学を学びたかったからです。そして三つ目は......タイでは、将来ビジネスを行いたい人は経済学部で学ぶという傾向があります。だから私も経済学部を選びました」
2010年4月。親元を離れて2年目の春に、プランシリさんは一橋大学の門をくぐった。
授業内容を復習することで留学生活を好転させる
1年間日本語を学んだプランシリさんであっても、日本語による大学の授業を理解し、日本語で暮らしていくのは簡単なことではなかった。
まず日本語による授業が大きな壁となる。本人の感覚として、最初は5割程度しか理解できていなかったそうだ。
「どんなに授業に集中しても、講義もテキストも日本語というのはとても大変でした。経済学を学ぶためにきたのに、肝心の日本語がわからないのでは意味がありません。最初は、とても焦りました」
それでも入学してから仲よくなった日本人学生に、わからないことは何でも聞くようにしたと語る。それでも入学時の4月は、日本人の学生同士でもまだまだコミュニケーションがとれていない。共通の話題といえば受験勉強ぐらいだ。
「センター試験のことが話題になると、自分にはわからないので『え、どうしよう......』という状態でした。2か月ほどすると、話題が授業やサークルなど今のことに変わり、私も会話に参加できるようになりましたけど(笑)」
入学とともに生活環境も変わった。留学生日本語教育センターで学んでいた頃は寮で暮らしていたので何かと気もまぎれたが、大学入学を機に、プランシリさんは、アパートで一人暮らしを始めることになった。
「最初はとても心細かったですね。日本語がうまく使えない状態で、電気や水道の手配、インターネットのことなど、全部自分でやらなければなりませんでしたから。多いときには週に3〜4回、スカイプを使って実家の人たちと話をしたり、相談に乗ってもらったりして、不安をまぎらわせていました」
しかし、プランシリさんはここで挫けることなく反転攻勢に出る。
「まずは日本語を上達させなければ、どうにもなりません。そこで友だちにどんどん質問したり、タイで読んでいた日本のマンガのオリジナル版を古本屋で買って読んだり、テレビを観たりして、日常生活で使われる単語は徹底的に覚えました。また電子辞書も役に立ちました。タイ語⇔日本語版はなかったので、タイ語⇔英語⇔日本語と、英語を介して単語を覚えていきました」
問題は授業である。日常会話は理解できても、授業で使われる専門用語を理解するのはたやすいことではない。が、理解できるようにしなければ留学した意味がない。プランシリさんは一大決心をした。
「私はほかの学生の2倍頑張らないと、きっとよい成績はとれないと思いました。だから必ず授業のあとに2〜3時間復習をして、時間に余裕があれば予習もやると決めたのです。特に復習にはこだわりました。『何時までに必ずここを復習する』と制限時間を設けて、図書館、カフェ、自分の部屋、いろいろな場所でほぼ毎日、講義の復習をしました。当時の私の手帳を見直すと、スケジュールがビッシリ書き込まれていて、まるでガリ勉みたいですよ(笑)」
授業に対する工夫は、復習や予習だけではない。履修方法について、タイ人の先輩留学生からたくさんサポートを受けられたことも大きかったと語る。
「経済学を学ぶうえで、どの科目をどんな順番で履修すればいいか、最適な方法をいろいろ教えてもらいました。『この授業は少し待って2年次に履修するといいよ』『この授業は今出ておいたほうがいいけど、内容が難しいからわからないことは教えてあげる』など、具体的なアドバイスをくださる方々が学内にいて、本当に心強かったです」
そして2年次の夏学期には「もう日本での生活は大丈夫だ」と思えるようになったそうだ。そんな気持ちになれたのは、1年次の努力があったからだという。
「1年次の成績がよかったことで安心できましたし、励みにもなりました。授業も7割くらいは理解できるようになって、これなら大丈夫なのではないかと思ったのです」
本人は謙遜して「成績がよかった」という表現にとどめているが、正確にはオールAである。しかも未来を先取りすれば、プランシリさんは卒業が決まった現段階で4年連続オールAという偉業を成し遂げている。
「勉強は、小学生の頃からよくできたほうでした。親からは特別なプレッシャーを与えられたりはしませんでしたが、ただ一つ、『得意なことほど努力しなさい、努力をし続けないと自分の身にはならないから』と教えられてきました」
部活動、アルバイト、他学部の授業積極的に見聞を広めながら学んだタイムマネジメント
日本語の習得や授業の復習に相当の時間を費やしたプランシリさんだが、目の前の勉強以外にもさまざまなことに取り組んでいた。まず、体育会競技ダンス部への参加である。
「大学に入ったら、勉強だけではなく部活も経験したいと考えていました。高校時代に競技ダンスをやっていたので、その経験を活かそうと思ったのです」
ダンスを続けたかったというのが一番の動機だが、一橋大学にきてさらに別の観点からも入部を決めたそうだ。
「日本人の友だちの間では、部活が話題にのぼることがけっこう多いんですね。ですから日本での部活動というものを経験して、共通の話題を持っておくことは大切だと感じました。実際入ってみたら、私の高校時代のように『何が何でもコンテストで勝つぞ!』というストレスはなく、ダンスの楽しさを感じられる場でした。諸事情で長くは続けられませんでしたが、貴重な体験ができたと思っています」
また、プランシリさんは日本での生活費をやり繰りするためにアルバイトも経験している。タイ語や英語の塾講師のほかに、一番鮮烈に記憶に残ったものとしてアパレル販売のアルバイトを挙げた。
「日本語がある程度話せるようになったので、もともと好きだったファッションの世界でアルバイトをしてみたいと思い、応募しました。採用してくれた会社についてまず驚いたのが、接客のトレーニング(研修)です。挨拶の仕方、声の出し方など、すごく丁寧に教えてもらい、改めて日本人の真面目さを感じましたね。時間には正確で、遅刻なんてもってのほか。タイムマネジメントの意識はすごく高いし、社員はもちろんアルバイトであってもお客様のことを第一に考えていて......日本のサービス業はすごい。私はタイにこのノウハウを持って帰り、起業したいと思います」
そして勉強の面でも、経済学部の授業以外に商学部や法学部の授業も履修し、専門外の分野にも視野を広げる努力をしたという。「ほかの国立大学に行った留学生日本語教育センター時代の友だちに大学の様子を聞きましたが、ほかの大学では科目履修には、いろいろ制約があり、一橋大学ほどの自由度はないように思いました。一橋大学を選んだことは、見聞を広めたい私にとって正しい選択でした」
さまざまな体験を振り返り、プランシリさんは自己マネジメントの力がついたという。
「勉強、部活、アルバイト、生活......一橋大学に留学してから、たくさんのことを経験しました。その経験を通して、私は自分の学業や生活に責任を持てるようになったと思います。制限を決めてスケジュールを組む、家計をやり繰りする。そんなふうに自分を『マネージ』する大切さを学べたことは、大きな収穫です。タイにいた頃は、親が何から何まで面倒を見てくれていました。当時の私からは考えられないほどの成長です」
母国での起業を「10年先」と考え、さらにビジネスを学び、人脈を広げたい
一橋大学に留学する前に持っていた「タイで起業したい」という夢は、プランシリさんのなかではまったく変わっていない。日本での留学生活を通して第三の言語=日本語を習得し、経済学を学び、さらにアルバイトで「日本の丁寧なサービス業」を体験した。母国でビジネスをするうえで、差別化につながる要素はそろったかに思える。
「まだまだです(笑)。会社を立ち上げるのは10年後でもいいと思っています。その前に、投資銀行などに就職し、会社やビジネスの仕組みを学び、人脈を広げたいと思っています。そのためには、ファイナンスの専門知識も必要だと考えています。そこで、ヨーロッパ大陸またはイギリスの大学への修士留学を目指し、申請しています」
最後に、プランシリさんにとってグローバルとはどういうことか、聞いてみた。
「言語や国籍のバリアがない環境では、お互いの違いを認めあうことが大切です。そして認めあうためには、つねに環境の変化に敏感でなければいけないと思っています。その変化をつかみ、自分をいち早く適応させること。それが私にとって、グローバルであるということです」
親元を離れ、何もかも異なる環境で自分をマネージすることを学び、能力を最大限に発揮してきたプランシリさんだからこそ、つかめた思いではないだろうか。(談)