国立のジャズバーを一橋大学卒業生が承継
2023年10月2日 掲載
名スピーカーが鎮座する"ジャズ居酒屋"
JR国立駅の南口を出て、斜め右方向に走る富士見通りを歩いてすぐ。道沿いの雑居ビルの5階に、「NO TRUNKS」というジャズバーがある。長方形の店内の一端にバーカウンターがあり、反対側の一端には2台の大きなスピーカーやピアノが置かれている。そのスピーカーは「ALTEC A-7」で、"The Voice of the Theatre"という別名のある劇場用の名機。300人収容するホールの音響を2台でカバーできるというパワーを持つ。それが40席ほどのスペースに置かれ、コレクションである約4,000枚のLPレコードや約3,000枚のCDのジャズを鳴り響かせている。「まるでコンサートホールで聴いているかのような臨場感が味わえる」とオーナーの村上寛さんは言う。
レコード演奏だけでなく、本物のライブ演奏も行われている。日本人ギタリストの最高峰、渡辺香津美の師匠として知られる中牟礼貞則と、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」の編曲家でもあるピアニストの渋谷毅のデュオは、この店の名物だ。そのほか、サックス奏者の梅津和時といったビッグネームも出演している。
そのライブがある日は、ミニマム・チャージとして1,500円の飲食代のほか、演者に最低1,000円の"投げ銭"を来店客に求めるというユニークな運営が行われている。
「お客さんは大抵2,000円以上の投げ銭を下さるので、演者には『ほかの店よりギャラが良い』と好評です」と村上さんは相好を崩す。
その村上さんは、「店のことは本心ではジャズバーだとは思っていない。うちはジャズ居酒屋」と言う。お酒2杯とフード1品で1,500円程度、お酒も焼酎やホッピーまで置いているからだ。「ホッピーがあるジャズバーなんて聞いたことがない」と笑う。
開業から順調に経営を続ける
村上さんは、1950年生まれ。高校時代からジャズが好きになり、20歳の頃に愛好家仲間の寺島靖国さんがオープンさせたばかりの吉祥寺の名ジャズバー「メグ」の初代レコード係を務めた。そして24歳の時に、大手レコードショップの新星堂に就職する。
在職時代は高円寺、吉祥寺、立川の輸入盤専門店‟Disk Inn"各店舗の店長を務め、ジャズカテゴリーの拡充に努めるほか、新星堂の独自レーベル「オーマガトキ」の「中央線ジャズ・シリーズ」の全てをプロデュースする。
それだけではない。レコード専門誌「レコード・コレクターズ」などでジャズ評論を連載するなど、識者ぶりも発揮した。
しかしながら、インターネット時代に突入して音楽配信サービスが興隆する一方、CDは売れなくなっていき、新星堂の経営も厳しくなった。2001年1月、50歳であった村上さんは早期退職に応募し、27年間勤めた新星堂を退職した。旅行に出掛けるなど束の間の休日を楽しんだ後、同年11月にホームタウンの国立に「NO TRUNKS」を開業した。村上さんには、「いつかジャズバーを経営してみたい」との思いがあり、早期退職がいいきっかけになったのだ。
「当初は吉祥寺とかも考えましたが、競争相手となる名店が多いのが気になりました。一方、国立は暮らしていて安心安全な街、という印象が強くあったのです。国立なら客層もいいはずだと。そこで、国立でお店を開くことに決めたのです」
オープン後、新星堂の常連客などがひっきりなしに来店してくれた。また、「オーマガトキ」のプロデュース活動などを通じて多くのジャズミュージシャンと交流していたおかげで、ライブの出演交渉もスムーズに行うことができた。
「普段の日は周辺住民のお客さんがほとんどですが、ライブの日はファンのお客さんが市外からも来てくれました。おかげで開業から順調に経営を続けることができました」
一橋大学とも関わるように。まちづくりサークル「MusiA」が、国立市などの後援を得て2007~2011年及び2013年に大学の兼松講堂などを会場にして開催したジャズフェスティバル「国立パワージャズ」のプロデュースを要請され、参加ミュージシャンの人選や出演交渉などを担った。「一橋大学の学生もよく店に来てくれた」と村上さんは話す。
コロナ禍で状況が一変、70歳という年齢も追い打ちに
そんな、好きなジャズと良い来店客に囲まれて過ごす良き日々は、コロナ禍によって暗転する。店は休業を余儀なくされた。そんな村上さんに、70歳という年齢が追い打ちをかける。
「コロナ禍前まで休みは週1日で、店の営業は18時から夜中の1時頃までやっていました。ところが、コロナ禍でそんな気力もすっかり落ち込んでしまいました。世の中が落ち着いてから営業を再開しても、休みは週2日に増やし、営業は23時頃までしかできなくなりました。そこで、そろそろ引退か、との考えがよぎったのです」と村上さんは打ち明ける。
とはいえ、安易に手放すと自慢の「ALTEC A-7」やレコードを処分されてしまうかもしれない。だからと言って自宅に持ち帰っても鳴らせるスペースはない。また、開店以来通ってくれている常連客という財産もある。何とか店を存続させられないものか。そう思い悩んでいたある日、村上さんの妻が、畑の草取り仲間で商工会関係の知人から「スナック水中」の経営者である坂根千里さんの存在を耳にする。
坂根さんは、一橋大学社会学部を2022年に卒業し、2023年3月にスナックやバーの第三者承継をビジネスとする株式会社水中を立ち上げたベンチャー経営者。在学中、国立市の谷保でゲストハウスを運営するサークル「たまこまち」を立ち上げ、 "実学"に取り組む。その活動を通して、JR谷保駅近くの「すなっく・せつこ」と出合い、"夜の社交場"の存在に魅了されることに。そして、せつこママから請われて「ちり」という源氏名の"チーママ"として働き始めると、ママから店の後継を頼まれ、2022年春の卒業後まもなく、オーナーとして店を「スナック水中」としてリニューアルオープンさせた。「すなっく・せつこ」時代の常連客に加え、新たな客層を得て「スナック水中」の経営を軌道に乗せ、起業に至ったという稀有なキャリアの持ち主である。
(詳しくは一橋大学HQウェブマガジン「自分のような"強がり女子"を解放する場所をつくりたい」を参照)
村上さんは、さっそく坂根さんに店の承継を相談した。
"夜の社交場"を遺したい思いが一致
「びっくりしましたし、嬉しく思いました」と、坂根さんはその時の思いを口にする。学生時代に国立地域で活動していた坂根さんは、「NO TRUNKS」の評判を耳にして三度ほど訪店していた。「目の前でライブ演奏を聴いて圧倒されたという印象が強く残っていた」というまさにその店のオーナーから、直々に店の承継を相談されたからだ。
「けれども、私はまだ『スナック水中』の1店舗しか承継実績がなく、ジャズバーなんてできるのかという不安も感じました」と坂根さんは話す。しかし、そこから「NO TRUNKS」で村上さんとの会合を重ねるうちに、村上さんが何を大事に思い、何を引き継いでほしいのかを徐々に理解し、来店客の様子からも「チャレンジしがいがありそう」と思い始める。
「水中でやりたいことは、私が惚れ込んだ"夜の社交場"を遺すこと。そんな思いが村上さんと一致したことが大きかったです。そして、ジャズ界の生き字引であり、ライブをプロデュースする村上さんに顧問的に残っていただいて、その大きな力を発揮していただければ、と考えました」(坂根さん)
以前のようにフルタイムではなく、週に1~2日のライブの日は村上さんが店を運営し、通常営業(週五日を予定)は坂根さんが切り盛りする。そんな体制ならば村上さんも体力的に問題なくできると、2023年4月末、「NO TRUNKS」の水中への承継が決まった。
新オーナーによる「NO TRUNKS」のリニューアルはこれからだが、ジャズバーから"スナック&ミュージックバー"にかえるという"水中色"を加える予定だ。
「もちろん『NO TRUNKS』の魅力はそのまま引き継ぐことを基本とし、"スナック"の魅力も付け足していくのもありだと思っています。とはいえスナックに不可欠のカラオケは雰囲気に合わないので、ピアノの伴奏でお客様に歌ってもらうスタイルなど構想を膨らませています」と坂根さんは話す。
「Z世代である坂根さんの発想力にすがりたいと思っています。最適な人が見つかって本当に良かったと安堵しているところです」と村上さんは目を細める。
こうして、国立の名店はコロナ禍を乗り越え、事業承継という難題もクリアし、昔からのファンに加えて新たな客層も呼び込む店として続くことになる。多くの人が、この朗報に心から期待を寄せている。