センター長の仕事
経営管理研究科教授 小西 大
2022年8月4日 掲載
3年前から一橋大学 大学院経営管理研究科 ファイナンス研究センターのセンター長を務めている。しかし「務めている」というのが恥ずかしいくらい何もしていない。昨年5月頃、そんな私を知るある助手さんから「ファイナンス研究センターのウェブサイトの写真を撮ってくださいよ」と言われた。それから大学の写真を撮ることがセンター長の仕事になった。
もともと写真を撮るのは嫌いではない。登山、カヤック、キャンプ等々、外で遊ぶ時は必ずカメラを持っていく。ただ写真を人に見せることはほとんどなく、一緒に山に登る我が家の犬や風景、花の写真をひとりで見てはニヤニヤしている。そのため不特定多数(おそらく「多数」ではないが)の人の目に触れる写真を撮るのは初めてだった。
まずはいろいろな大学のウェブサイトの写真を参考にして、オーソドックスな被写体をベタな構図で撮ってみた。本学の場合は兼松講堂や附属図書館が主要な被写体である(写真1、2、以下本文中の括弧内数字は写真番号)。丸いアーチと重厚な外観が特徴的なロマネスク様式の建物が美しい。有名な大学建造物に見られる荘厳なゴシック建築やコンクリート打ちっ放しのモダニズム建築より好きだ。
次に、建物を少し変わったアングルや構図で、さらに部分を切り取って撮るようになった。高い所から撮ったり(3)、池のリフレクションを撮ったり(4)、玄関を撮ったり(5)等々。きれいなリフレクションを撮るには、風がない快晴の日、カメやカモが泳いでいないとき、噴水が起動する前の時間帯が狙い目だ。池一面に浮かぶ落葉した黄色いイチョウの葉の隙間にチラッと見えるリフレクションもいい。
さらにディテールだ。伊東忠太設計の兼松講堂には、所々に不思議な怪獣(?)が彫られており、いくら見ても飽きることがない(6)。ちなみに図書館や本館にも怪獣の装飾が施されているが、これらを設計したのは文部省の技官である。兼松講堂に倣ったものと思われる。
仕事が終わらず研究室に泊まるときには、日没後や早朝に撮ることもある(7、8)。日の出直前と日の入り直後のマジックアワーの景色は格別だ。雨の日にも撮るようになった(9)。樹形が見事なヤマモモのシルエットがシックでいい。大雨の翌日、水捌けの悪いキャンパスにリフレクションを見つけて感激することもある(10)。
そのうち「大学の」写真だけではなく、「大学で」さらには「学外で大学の」写真を撮ってもよい、と勝手に決めた(11、12、13)。これで撮影の自由度が格段に高まり、それからは吹っ切れたようにパシャパシャ撮っている(もちろん場所や被写体によっては撮影許可を取っている)。大学からの富士山の眺望は最高だ。富士山左側の稜線にちょうど大室山(西丹沢)の稜線が重なるため、末広がりの姿を見ることができる。
私にとって写真の良さは二つある。一つは、目では見えないものが見えることだ。人間の目はとても精巧にできていて、瞬時に見たいものにフォーカスし、見たくないものをぼかすことができる。しかし、目は見たいものを見るのは得意だが、それ以外のものを見落としてしまうことがある。見たことがないのにどこかで見たような気がすることを「デジャヴュ(既視感)」というが、写真では反対のことが起きる。自分が撮った写真を見ると、視界に入っていたはずなのに気づかなかった美しさを知り、「こんな世界があったのか!」と感動することがあるが、そんな瞬間がたまらない。
いま一つは、いつも美しさを探して写真を撮っていると、やがて美しさのほうから目に飛び込んでくる、そんな体験ができることだ。こうした体験を重ねるうちに、いつも歩いている道端でも、雨の日でも、都会の喧噪の中でも、どこでも必ず美しいものがあるという信念のようなものが心の中に湧いてくる。そしてそれは裏切られることがない(14)。楽天的かも知れないが、そんな気持ちでいられることはたぶん幸せなんだと思う。
いつか開学以来培われてきた本学の精神を写真で表現したい、と撮影スキルに見合わない夢のようなことを最近考えている。そのためにはもっと真剣にカメラで遊ばなくてはならないだろう。ただ、センター長の"仕事"とはいえ写真ばかり撮っているわけにはいかない。ファインダー越しに見たカルガモは、こちらを睨みながら「そろそろ本当の仕事をしろ!」と言っているようだ(15)。
いずれファイナンス研究センターのセンター長を退任するときがくるが、この"仕事"だけは続けるような気がする。