福井県立藤島高等学校

一橋大学が、全国から優秀な学生が集まる魅力ある大学であるためには、何が必要か。本学の教員が母校を訪ね、母校での取り組みや今の高校生の志向をヒアリングしながら、その問いを掘り下げていく「母校を訪ねて」。今回は、法学研究科の葛野尋之教授(前研究科長)が、福井県立藤島高等学校を訪問した。高校時代の同級生、青木建一郎教諭との対談を通して、160年以上に及ぶ同校の歴史、文部科学省による「スーパーサイエンスハイスクール」指定校として取り組んだ独自のカリキュラムやテキスト開発などについて紹介し、次世代リーダーの育成、教養教育の重要性を浮き彫りにしていく。

青木建一郎教諭

青木建一郎教諭

田中幸治校長

田中幸治校長

葛野尋之教授

葛野尋之教授

左から青木建一郎教諭、田中幸治校長、葛野尋之教授

左から青木建一郎教諭、田中幸治校長、葛野尋之教授

160年以上の歴史と伝統を誇る福井県立藤島高校

葛野尋之教授の母校、福井県立藤島高等学校では、田中幸治校長と、保健部長の青木建一郎教諭(公民担当)が対応してくださった。
藤島高等学校は160年以上の歴史と伝統を誇る、福井県有数の進学校だ。前身は安政2年(1855年)に福井藩16代藩主・松平春嶽が開学した「明道館」である。藩政改革の大きな柱として掲げられた「教育を通して藩を豊かにする」という開学の志は、2代館長・橋本左内によってさらに磨かれ、現在に至るまで脈々と受け継がれている。
「橋本左内は、15歳の時に著した『啓発録』で五訓(去稚心・振気・立志・勉学・択交友)を挙げています。本学ではその中から3つの訓『去稚心(わらべしい心をとり去る)』『振気(勇気を出してがんばる)』『勉学(広い知識や教養を身につける)』について、入学式などの式典で折にふれて生徒たちに伝えています」(田中幸治校長)
平成26年度には文部科学省から「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業」(5年間)として3度目の指定を受け、文理を問わず、深く考える力と豊かな教養を身につけた、グローバル社会を《デザインする》国際性豊かな21世紀を担うリーダーの育成に取り組んでいる。
このような高校であるから、館長を務めた橋本左内は言うに及ばず、160年の歴史の中で輩出してきた卒業生も実に多彩だ。首相・岡田啓介、最高裁長官・石田和外、作家・中野重治、小松製作所取締役会長・野路國夫、指揮者・小松長生、歌人・俵万智、そして2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎博士など、枚挙に暇がない。現在も毎年のように国公立大学に270人余りの合格者を出している。

対談する田中幸治校長と葛野尋之教授

「現在の本校の特色として真っ先に挙げられるのは、やはりSSH事業でしょう。南部博士がご存命の頃、本校の生徒が当時博士の研究室があった大阪大学に伺ったことがあります。その際、博士は『Boys & Girls Be Ambitious』――一つのことにとらわれず、さまざまなことを学び、挑戦し、飛び立って行きなさい、と言われました。その言葉をテーマに、SSH事業の3期目では文理の枠を超えて生徒たちが一緒に学び、議論し、発表し合う機会を創出しました。その結果、生徒たちは異なる意見に真剣に耳を傾け、お互いの考え方を尊重し合う姿勢を身につけました。この姿勢は、大学でさらに学びを深め、社会に出て力を発揮していく上で欠かせないものだと考えています」(田中幸治校長)

葛野教授と青木教諭は同校の昭和55年度の卒業生である。その縁で、葛野教授は毎年10月に行われる藤島高等学校の「学問発見講座」(2年生向け)に参加。他大学の教授とともに、生徒が関心を持つテーマについて講演を行っている。今回の「母校を訪ねて」では、お2人がこれまでの接点の中で交わしてきたさまざまな議論について、さらに深めていただく機会となった。以下にその対談の模様を紹介する。

スーパーサイエンスハイスクール指定校としての文理一体の取り組み

葛野: スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業とは、高校における先進的な理数教育を実施するとともに、高大接続のあり方についての大学との共同研究をはじめ、国際性、創造性、独創性を高めるための指導や教材開発に取り組むものです。まずは藤島高等学校におけるSSH事業の取り組みを教えていただけますか。

青木: 平成16年度から第1期、平成21年度から第2期、平成26年度から第3期と、SSH事業を推進してきました。基本的に科学技術の色彩が濃い事業ですが、文系にも必要な取り組みだと考え、2期目からは対象を文理合わせた全校生徒に拡げました。3期目は「科学的教養を備え、深く考え、未来をデザインできる人材の育成」をテーマに掲げました。ここでは「教養」を「断片的な知識、経験をつなぎ、高校で習得する知の全体像を俯瞰的に把握する力」と定義しています。

葛野: なぜ、文系にも必要な取り組みであると考えたのでしょうか。

青木: 1年生の「研究Ⅰ」では研究のスキルを学び、2年生の「研究Ⅱ」では自ら問いを立てて答えのない問題に取り組む課題研究を行いますが、こうした経験は文理共通して大切です。また、近代市民社会の「市民」、「主権者」として必要な力を身につけるという観点からも、文理を分けるのはおかしいでしょう。高校の科目・教材はタテ割りで生徒は知識をバラバラに入れてしまいがちです。3年生の「研究Ⅲ」ではそれをつなぐような活動をめざしています。生命倫理やAIについて、文理混合のグループをつくっての議論などをしています。

葛野: 独自のテキストもつくっていらっしゃいますね。

青木: 高校の教員に加えて大学の先生方にも編集に携わっていただき、『高校生のための基礎教養』というテキストを作成しました。葛野さんも監修を引き受けてくださいましたね。教科横断的に知識をつなげてネットワーク化することをめざして、第1集『近代とは何か』には近代社会の基本構造を俯瞰する文章を、第2集『私たちはなぜ科学するのか』には自然科学の幅広い分野の文章を収録しました。カント、ダーウィン、アインシュタイン、夏目漱石らの古典と、内田樹・國分功一郎・福岡伸一らの文章を混在させたアンソロジーです。現在我々が直面している問題は、小手先の策では対処できません。環境倫理、生命倫理、格差、人権...こういった個別の問題を、科学主義・資本主義・民主主義といった近代社会システムの基本構造とつなげて理解し、自分の頭で考える力が必要です。最初は本校の生徒向けのものでしたが、教育関係者の関心を呼んで、市販されることになりました。

自らの判断に責任を負って行動し、俯瞰力によって社会をデザインできる人材の育成

葛野: 「立憲主義」についての杉原泰雄先生の文章もありましたね。広い意味における「社会の次世代リーダーを育てる」という観点から、とても共感できる取り組みです。現代は、AIをはじめとするコンピュータテクノロジーから経済、金融、経営、公共政策に至るまで、さまざまな分野で技術官僚、いわゆるテクノクラートが重用される傾向にあります。しかしながらその傾向が過ぎると、社会の次世代リーダー、すなわち「社会のあり方と人々の幸福について自分で考えて判断し、その判断に責任を負って行動できる人材」の養成からは離れていきかねないのでは...という危機感があったのです。そんな危機感を、藤島高等学校も青木さんも感じておられたのだろうと思います。

青木: テクノクラートは、あらかじめ設定された目標に向かって効率的に物事を進めていく際に、実務能力を発揮する人材でしょう。徳川幕府の安泰期のように、社会が安定している時にそういうエンジニアリングが得意な人材が重用されるのは分かります。しかし変動期は違う。実際に幕末も、下級武士から社会を変える人材が出てきましたね。現在はどうかと言えば、農業革命、産業革命に続く大変動期を迎え、「人間の歴史の中の、巨大な曲がり角」(見田宗介)に来ているのだと思います。科学から政治、経済に至るまで、そのつながり方が見えていないと、どの方向に目標を設定すればいいか分からないですよね。だから、ジャレド・ダイヤモンドやユヴァル・ノア・ハラリなどが読まれているのでしょう。行き先は歴史を学ばないと見えてこないからですね。

葛野: 歴史とは、今自分たちがどこにいるのかを知り、どこに向かえばいいのかを決めるうえで絶対に必要な「地図」ですからね。

青木: いわゆる俯瞰力、パースペクティブですね。橋本左内や横井小楠(熊本藩士・儒学者。のちに松平春嶽に招かれて福井藩の政治顧問となり、「明道館」で教鞭も執る)のように、新しい社会を設計する力、《デザインする》力に優れた人材が必要なのだと感じています。

展望や解決策を他者と共有し協働する能力の開発

葛野: 社会全体のあり方をデザインするリーダーにとって大切なのは、自分だけが良い暮らしをするのではなく、他の人も含め社会全体をより良いものに変えていくという力ですね。時間というタテ軸、地理的なヨコ軸、双方に広い視野を持って、社会が進むべき道を展望する力です。

青木: まったく同感ですね。

葛野: そして社会を変えるためには、自分が「正しい」と考えた展望、解決策を他者と共有していく力も求められると思います。何故ならば、1人の人間ができることは限られているからです。その限界をわきまえ、他者と協働しなければなりません。

青木: その通りだと思います。私が市民社会の市民として身につけてほしいと考えているのは3つで、1つ目はこの社会をよりよいものにしていこうとする社会改革意欲、2つ目はつらい人の痛み・悲しみに共感できる共感能力、そして3つ目に俗説やポピュリズムに流されずに論理的に考えられる思考力。人類は私益と公益をどう調和させるかをずっと考えて来ました。今の日本はあまりにも私益に重心が置かれていると感じます。生徒にワーキングプアの現状をまとめたビデオを見せると、「自分はこうなりたくない」という感想も出てくるのですが、「この人たちの苦しみをどうやって解決していったらいいのか?」を考えるのがリーダーで、そういう人間を育てなければならないと思います。

葛野: 現代は個人がアトム(=原子)化し、孤立しています。そして勝った者が成果物を総取りする方向に大きく傾いている時代と言えるでしょう。そんな時代において、いえ、だからこそ一橋大学は社会科学の総合研究大学として、正面から社会のあり方と人々の幸福を考えなければならないと思います。

高度な専門性を身につけるとともに「人間とは何か」を考えるべき

青木: 先ほどのテクノクラートの議論とも通じますが、社会科学を学ぶうえで大切なのは、高度な専門性を身につけることによってタコツボ化する危険をあらかじめ認識しておくことではないでしょうか。たとえばアメリカでサブプライムローン問題が起きた時には、当事者たちが自分のポケットにだけお金を入れて逃げるという動きがあったとされます。経世済民ではなく、数字をもてあそんでいることの結果ではないかと思います。そこに、狭い意味での経済の専門家になってしまうことの危険性が潜んでいると思います。経済とは何かを考える前に、「社会とは何か」「人間とは何か」という視点、広い意味での教養を持たないと、学問は歪んでしまうのではないでしょうか。

葛野: 社会科学の高度な専門性の基盤に厚みのある教養が必要、ということですよね。それにはまったく同感です。哲学、歴史、芸術、宗教――グローバルな規模で他者と対話し理解し合うためには、これらについての理解が不可欠ですね。しっかりした社会観、人間観がないと。

青木: 2017年に運慶展と安藤忠雄展に行ったのですが、運慶の「無著菩薩立像」、安藤忠雄の「光の教会」など実に素晴らしかった。「宗教とは何か」「人間とは何か」を言語ではなく体感によって考えさせられる。そういうことを考えた上で、専門の社会科学に入っていくのが重要なのだと思います。その意味では芸術や宗教、文学などは実学と言えます。そういうことを通過してからでないと、経済学はマーシャル(経済学者)が言った"cool heads but warm hearts"の学問とならないのではないでしょうか。基盤になる社会観、人間観が大切だと思います。

葛野: マーシャルはケンブリッジ大学の学生を、当時のロンドンの貧民街に連れて行ったという話を聞きました。

青木: アダム・スミスの「同感の原理」のない資本主義は歪むでしょう。マーシャルは学生に貧民街の実態を見せ、どうすればこういう人たちが苦しみから抜け出すことができるかを考えるのが君たちの仕事だと教えたのですね。本校の生徒もまた同じ責務を担っていると考えますし、それは一橋大学の学生にも当てはまると思います。

先人が知的格闘を積み重ねた原典にふれ自らの可能性を感じてほしい

葛野: 高校であれば進学実績、大学であれば就職実績や難関試験の合格率、というように、今は短期的な成果を測るのに適した教育に偏向しがちです。しかし人生は高校や大学で終わるわけではなく、そのあともずっと続く。誰もが社会に出て、長く生きていくわけです。そんな将来のことを考え、いつか芽吹くことを期待して、教員や研究者は今、種をまかなければなりませんね。

青木: それには教養教育が不可欠なのでしょう。しかし、高校ではテキストの内容が平易になり、大学では一般教養課程が十分には機能していないのではないでしょうか。教養教育がすっぽり抜け落ちているように思います。たとえば英語も、「話す」「聞く」などコミュニケーションツールとしての側面が重視されるようになってきました。それはそれでよいことですが、抽象度の高い英文を「読む」こともとても大切でしょう。私たちが高校生の頃は、バートランド・ラッセルの哲学史が英語のサイドリーダーだったりしましたね。

葛野: ラッセルはよく読みましたね(笑)。読むことによって世界が広がるという実感がありました。私自身、高校生の頃に読んだジョージ・バーナード・ショー(文学者)のエッセイに目を開かれました。読むこと、しかも原典を読むことは大切ですね。教科書で簡潔に、きれいにまとめ上げられた文章ではなく、著者が格闘しながら書き上げた原典を読む、ということが。

青木: 教科書で福沢諭吉について学ぶよりも、『学問のすゝめ』を読むことのほうが、生徒にとってはるかに意味があります。だからこそ『高校生のための基礎教養』でも、いくつかのテキストは原典をそのまま載せました。著者の知的格闘を目の当たりにすることが大切ですから。

葛野: 人間の知的格闘の積み重ねを知ることができれば、高校生も、そして大学生も「自分はこれと格闘しよう」「自分は何かを変えられる」と感じるのではないかと思います。大学に行くための通過点ではない高校生活を送れるという意味では、藤島高校の生徒さんは幸せですね。青木さんが育てた生徒さんと、ぜひ本学の教室でお会いしたいと思います。受験勉強だけではない学びの面白さに触れた高校生に選んでもらえるよう、一橋大学は、社会科学の総合大学として、ますます研究、教育の両面を強化していかなければなりません。その責任は重大です。そしてまた、大学での学びの楽しさや喜びを、高校生に対して、積極的に伝えていくことも重要だと思いました。

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