世界は多様性に満ちあふれている。一歩踏み出した人には、必ず誰かが味方になってくれる

  • 株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズ 代表取締役島田直樹氏

(『HQ』2017年冬号より)

「一橋大学海外派遣留学制度」による留学が現在に至るまでのキャリアを決定づけた

島田直樹氏

島田直樹氏(1993年商学部卒)

一橋大学には複数の留学制度が存在するが、中でも際立った独自性を持つのが「一橋大学海外派遣留学制度」だ。同窓会組織《如水会》が設立したこの制度の独自性は、本誌第51号(2016年夏号)で既報の通りである。派遣先は、欧米・アジア・オセアニアにおけるトップクラスの大学67校(2016年5月現在)。一橋大学に学費を納めることで、これらの大学の授業料は免除される。また、留学準備金(往復航空券の費用など)や現地での生活で必要な滞在費が奨学金として支給される。他大学にはない手厚い支援だ。制度が始まってから30年目を迎えた現在、如水会・明治産業株式会社・明産株式会社の協賛という形に規模が拡大。これまでに1000人近い学生が海外留学の支援を受けている。そして、独自の支援による海外留学経験をバネに自身のキャリアを構築し、社会の中枢で活躍している卒業生もまた数えきれない。株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズ代表取締役の島田直樹氏もその一人だ。

島田氏は一橋大学商学部に入学後、「一橋大学海外派遣留学制度」の第5期生として、1991年の夏から約1年間、カリフォルニア大学バークレー校に留学した経験を持つ。帰国後、新卒でアップル・コンピュータ(当時。以下、アップル)に入社。3年半の勤務を経て、マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院でMBAを取得。ボストン・コンサルティング・グループなどを経て32歳で独立、株式会社ピー・アンド・イー・ディレクションズを設立する。同社は社名が示す通り、「P:Planning=計画策定」と「E:Execution=実行支援」の双方を重視し、一貫したサービスを提供することを企業コンセプトとしている経営コンサルティング・事業支援会社である。クライアントと伴走し続け、2016年9月、15周年を迎えた。このキャリアの大きな節目とも言えるタイミングで、留学経験が島田氏にもたらしたものが何かを振り返ってもらった。
「如水会の制度を使って留学させていただかなければ、まずアップルに就職しなかったと思います。アップルに勤めなければMITはないし、MITがなければコンサルティング業に携わっていない。そして、コンサルティング業に携わっていなければ今の会社(ピー・アンド・イー・ディレクションズ)もない......というほど、1年間の留学は大きな転機でしたね」
つまり「一橋大学海外派遣留学制度」を活用した留学が、現在に至るまでの島田氏のキャリアを決定づけている、ということになる。よくよく話を聞いてみると、22歳の時の1年間の留学経験が、29歳でMITの大学院を修了(MBAを取得)するまでの7年間にわたって影響を及ぼしていることが分かった。それほど大きなインパクトをもたらした留学とは、どのようなものだったのだろうか。

「同年代のアメリカ人たちはもっと勉強しているぞ」先輩留学生の言葉で、その後の人生が変わる

対談中の島田直樹氏

一橋大学商学部に入学後、1~2年次は本人曰く「アルバイトに明け暮れる苦学生」だったそうだ。もっとも島田氏はアルバイトを、単なる生活費を稼ぐ手段ではなく、さまざまなビジネスを垣間見るチャンスととらえていた。せっかく商学部に入ったのだから、というのが動機である。そこで日替わりでありとあらゆるアルバイトを経験した。企業運動会の設営、工事現場でのセメント運び、露店でのポロシャツ販売、高層ビル内の飲食店での換気扇掃除、弁当工場でのライン作業......この時の経験は、今の仕事に大いに役立っていると語る。
そして3年次に向け、学業にシフトしていこうと決意し、ゼミの選択を始めた。「会計」「マーケティング」など明確なテーマが並ぶゼミ案内の中で、一つだけユニークなゼミを見つけた。「次世代のリーダーを育てる」というテーマを掲げた竹内弘高教授(当時)のゼミである。「面白そうだ!」と直感した島田氏は、さっそく竹内ゼミのドアを叩く。
「今思えば、そこで人生が変わったのでしょう。たまたまその時、周りにはバークレー留学から帰ってきた阿久津さん(阿久津聡一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授/一橋大学派遣交換留学生の会[HEPSA]第3代会長)をはじめ優秀な先輩方がいて、刺激的な環境でした。時代はまだバブル期でしたから、順当に卒業すればそれなりの企業に就職できたのではないかと思います。しかし、先輩方から『同年代のアメリカ人たちはもっと勉強しているぞ』と教えられました。将来、商社のように国際的なところで仕事をしたいと漠然と思っていた私は、自分もアメリカに留学したいと考えるようになったのです」
ただ、最終面接では相当苦戦する。過去の留学経験者はほとんどがアカデミックな道に進んだこともあり、英語が苦手と言ってはばからない島田氏には、居並ぶ10人の教授から厳しい質問が飛んできたそうだ。
「たとえば、『英語の成績が振るわないあなたに、大学がスポンサーとなるべき理由を説明してください』とかですね(苦笑)、今でも忘れません。一緒に面接を受けた同期の学生からも、『お前は絶対に落ちたと思った』と言われるほど厳しかったです」
そんな厳しい面接を乗り越え、派遣生の資格を得た島田氏は4年次の8月、カリフォルニア大学バークレー校に留学する。

1年間の留学で完全燃焼できなかった悔しさが外資系企業への就職、そして再度の留学へつながる

対談中の島田直樹氏2

島田氏を待ち受けていたのは、ゼミの先輩が語っていた「同年代のアメリカ人たち」だった。そして結論を急げば、約1年間の留学期間を終えて真っ先に感じたのは、悔しさだったそうだ。もちろんポジティブな成果もあったのだが、まずその悔しさについて説明してもらおう。
「ひとえに自分の拙い英語力ゆえですが、とにかく同年代のアメリカ人たちに歯が立たない状況でした。彼らも真剣なので、グループプロジェクトに入れてほしいと言っても、『こいつは大丈夫か?』という思いから、断られることも珍しくありません。それでも何とかメンバーにしてもらいましたが、プロジェクトに貢献できていないことは、自分が一番よく分かるんですね。これは本当に悔しかったです。せっかく行かせていただき、機会を与えていただいたのに、完全燃焼できなかった......。その悔しさが、1年後、日本に帰る飛行機の中で沸々と湧いてきました。絶対アメリカに『帰って』、もう一度彼らと勝負して勝たないと収まりがつかない、と。今の言葉で言うと、リベンジですよね」
「同年代のアメリカ人たち」へのリベンジを誓った島田氏はまず、卒業後の就職先にアップルを選ぶことでその第一歩を踏み出す。
「当時まだ200人の規模で、95%の社員が中途社員だったアップルの日本法人に行ったのは、外資系なので英語力を磨けること。会社の規模がそれほど大きくないので、一通りのビジネスが社内にあること。そしてプラスアルファ──今で言うIT関連の知識やスキル──が得られること。この三つが理由でした。『200人で1000億円の売上をつくろう!』という時代のアップルでしたので、本当に一生懸命働きました。上司などにも恵まれ、入社2年目で《アップル・パシフィック・セールス・インパクト賞》を、3年目で《ゴールデン・アップル・ジャパン賞》を受賞したのです。その実績はもちろん、MITに留学する際のエッセイにしっかり書かせていただきました」
そして島田氏は新卒入社3年半でアップルを休職し、MBA取得のためにMITスローン経営大学院に留学する。MITでは、2度目のショックを受けることになるのだが、その前に、今度はバークレーでのポジティブな成果について触れておこう。

徹底的に遊ぶ仲間、豊かな一橋大学ネットワーク。かけがえのない出会いや発見を重ねた日々

学部時代に留学したカリフォルニア大学バークレー校にて

学部時代に留学したカリフォルニア大学バークレー校にて

ブラジルイグアスの滝にて

カリフォルニア大学バークレー校留学中に知り合ったブラジルからの留学生とともに、ブラジルへ(イグアスの滝にて)

冒頭で紹介したように、「一橋大学海外派遣留学制度」の独自性は他大学では得られない手厚いサポートにある。実際にその恩恵にあずかった島田氏も「すごい制度です」と語る。インターナショナルハウスで寮生活を送るうえで、経済的な問題で悩んだことはなかったそうだ。
「学費・寮費はもちろん、渡航費も教科書代も、全部出していただきました。自分のポケットから出したお金は......食事も含めて無かったくらいですね。ちょっとアルバイトをすれば十分満足に過ごせました」
そこで島田氏は、同じインターナショナルハウスで暮らすブラジル人の友人と、南米を20日間かけて旅行したという。
「冬休みにブラジルのリオ、サンパウロ、アルゼンチンのブエノスアイレス、ウルグアイのモンテビデオ、パラグアイのアスンシオン......この辺りをバックパッカーとして回りました。春にはサンフランシスコ郊外のモントレーでスキューバダイビングの免許を取りました。勉強だけではなく、そういう経験もできたことは大きかったですね。アメリカでの勉強は毎日大変でしたが、『遊ぶ時は徹底的に遊ぶ』ということを実際に体験できたのは大きかったです」
また留学制度のみならず、一橋大学のネットワークの豊かさを感じる場面にも遭遇したそうだ。
「ゼミの竹内教授からの恩恵でもありますが、阿久津さんが師事したデービッド・アーカー教授という、マーケティングの大家のご自宅を訪問する機会も得ました。アーカー先生が、クラスで積極的に発言できなかった私を『アメリカ文化の経験になるから』と、サンクスギビング・デーのファミリーディナーに招いてくださったのです。英語ができなくて本当に申し訳ない気持ちでいっぱいの私に、奥様がターキーやケーキをご馳走してくださいました。お金だけではないバックアップと言いますか、阿久津さんという一つ上の先輩しかり、さらにその上の先輩、さらにその上の......というように脈々と引き継がれる一橋大学や如水会のネットワークの豊かさが、一歩踏み出した自分を支援してくださっているという実感を持てました」
そしてもう一つ、島田氏はバークレーへの留学期間に人生の伴侶と出会うという幸運にもめぐり合った。
「私の妻は帰国子女で、当時別の日本の大学から1年間の交換留学で来ていたのです。偶然にも同じインターナショナルハウスで暮らしながら、同じ日本人として、英語が苦手な私を助けてくれました。それが縁で結婚することになったのです。そして2016年の9月に、長男もまたカリフォルニア大学バークレー校に入学しました。如水会留学がなければ、公私ともにまったく違う人生だったと思います」
勉強だけではなく徹底的に遊びを満喫する仲間。お金だけではなくネットワークで後輩を支える一橋大学の伝統。そして、人生の伴侶。バークレーへの留学は、悔しさだけではない、かけがえのない出会いや新たな発見を生み出したのである。

MITから50人を引率して日本へ。復路の機内で起こった想定外のリアクション

もう一度、時計の針を戻そう。島田氏はリベンジのために、アップルを休職して再度アメリカに渡り、MITスローン経営大学院でMBA取得を目指す。今度は英語だけではなく数学でも苦労をすることになる。それでもなんとか修了が見えてきた2年次の春。島田氏はリベンジの集大成として、「ジャパン・トリップ」というイベントを企画・主催した。
「MITスローンの教授、同級生、職員など約50人を引率して、日本で1週間を過ごす企画です。私としては、『どうだ、日本はすごいだろう!』と見せつけることで、リベンジを終える予定でした。そのために、MITに企業からの派遣で来ていた日本人クラスメートや先輩、留学斡旋を手がける会社などと交渉して、渡航費や宿泊費などの費用を全額負担してもらったのです。ただ......」

1週間の日本滞在を終え、ニューヨークを経由してボストンに帰る飛行機の中で、参加者から想定外のリアクションが起こったという。

2回目の留学、MITを卒業した時

2回目の留学、MITを卒業した時

「50人全員が『13-Kに座っているあの男〈島田氏のこと〉に1本渡してくれ』と、一人ひとりが機内販売で買ったビール缶が、続々と私の席に届いたのです。そして皆から「Thank You!」の言葉をいただきました。リベンジが終わったと感じる一方で、『自分はなんて浅はかなことを考えていたのだろう』と思うぐらい感動したことを覚えています」自分を凹ませた同年代のアメリカ人へのリベンジは、相手を凹ませるのではなく、相手から喝采を受けるという形で幕を閉じた。

本当に求められる英語力とは何か。1年間卒業が遅れることは不利なのか

対談中の島田直樹氏3

島田氏の1年間の留学が、その後のキャリアに及ぼした大きな影響について述べてきた。それでも読者の方々──特に留学という選択肢とどう向き合うべきか決めかねている学生・受験生と、その彼・彼女らを教育・指導する立場にある教職員の方々──には、二つの疑問があるのではないだろうか。一つは「そうはいっても求められる英語力をどうするか」であり、もう一つは「卒業が1年間遅れた場合、就職に不利になるのではないか」ということだ。
これら二つの疑問に、島田氏は自身の体験に基づいて以下のように語ってくれた。
「まず英語力に関しては、私自身、いわゆる『西側』(欧米)で通じる英語が基準にありました。きれいな発音で、正しい文法で、というような。しかしこの仕事で、日本企業の中国や東南アジアへの進出サポートをする場面が増え、『東側』に目を向ける機会が多くなりました。そこで改めて認識するのが『英語は通じればいいんだ』ということです。アジアの人たちとビジネスで付き合うと、発音や文法より『勢い』『元気さ』『思い』などが勝ることが多いと感じています。英語ができない人、下手な人のほうがローカルのビジネスでは信頼できる場合も少なくない。読み書き以上に、話すことに関して積極的に挑戦することのほうが大事なのではないでしょうか。また、ビジネスシーンでの英語もさることながら、食事やスポーツ観戦に行ったり、友人の家で音楽の話をしたりする中で交わされる会話のほうが、お互いの人間性を伝え、信頼関係をつくるうえでとても重要です。ですから留学は、『思い』を育み、生活の中での英語力を培う良い機会ではないかと思います」

そして二つ目の「卒業が1年間遅れる」ことについて、島田氏は個人的な意見と断ったうえで、きっぱりとこう回答した。
「不利だと思う人には、1年間の留学はお勧めできません。腰かけではなく、そこで生活しながら大学の単位を取りにいくというのは、真剣さが求められます。また、皆が同じ年に入学して、就職活動をして、卒業して......と画一的にやらなくてもいいのではないかと思っています。アメリカでは、大学に受かっても、ギャップイヤー制度を利用して、1年間ボランティアをしたり、世界中を旅行してから入学する学生もいます。世界には多様な生き方があり、ためらわず一歩踏み出してみた人は、案外そのまま通っていけたりするのですから。私はよく当社の若い社員に『やった分は全部自分に返ってくる、だから今のうちから頑張れ』という話をします。一橋大学は、しっかり通うだけでも十分に楽しく過ごせる4年間を与えてくれるでしょう。その環境を活かしてさらに挑戦するのか、与えられた4年間を食いつぶすだけなのかで、その後の人生はまったく違うものになるはずです。ですから一歩踏み出して、失敗したり、誰かの世話になったり......という経験を、ぜひ積んでほしいですね」

ENVIRONMENT

学びの環境