「自尊心を持って、堂々と生きる」多様性を大切にしたい私の流儀です

  • 国際・公共政策大学院(2015年10月入学)/ラオス出身アルニ・ヴィサイポンマニさん

(『HQ』2015年秋号より)

どこよりも安全で、親切な人が多いけれど、"高い壁"がある国ニッポン

アルニ・ヴィサイポンマニさん-立ち姿

世界各国から留学生が集う一橋大学。アジアからの留学生といえば、中国と韓国からの学生が圧倒的に多いが、実はさまざまな国からの留学生がいる。たとえば、2015年10月より国際・公共政策大学院(IPP)に入学するアルニ・ヴィサイポンマニさんの母国、ラオスもその一つだ。近年は経済成長も目覚ましく、その成長率は中国にも匹敵するほどの高い伸びを示している。そして、グローバルに広がる政治経済活動を学ぼうと、彼女のように海外へ留学する若者も少なくない。
「今のところ留学先は、ほとんどが英語圏かフランス語圏の国だと思います。英語は、世界中で一番使われている言語ですから、ラオスでも学ぶ人はたくさんいます。そしてフランス語は、ラオスがかつてフランスの統治下にあったので身近な言葉です。どちらの言語も、ラオスのビジネス社会と強く結びついていることが背景にあります」
最近では、中国への留学を希望する若者も増えているという。中国企業がラオスに進出し、投資を積極的に行っていることもあり、中国語を使えると高い収入が得られるそうだ。
一方で、日本は留学先としてどう映っているのだろう。
「日本に行きたいと思っている人は多いはずです。日本はとても安全な国ですし、親切な人が多いという印象がありますから、家族も安心して送り出せるでしょう。ただ、ビジネス上の接点はまだ多いとは言えず、メリットを感じる人が少ないからか、私のように留学先として選ぶ人は少数派ですね」

アルニさんは1991年生まれの24歳。子どもの頃から、外交官を務める父親の赴任先を転々としながら大人への階段を上ってきた。小学校5年生から高校3年生まではアメリカで過ごし、ラオスに帰国後は米国系の大学に進学して商学を学んだ。卒業する時点で4か国語(ラオス語・タイ語・フランス語・英語)を使いこなせる語学力の持ち主だったが、日本への留学にはとてつもなく"高い壁"を感じたという。
「"日本語"という壁です。たとえば、タイ語はラオス語とかなり似ているので、理解することはさほど難しくありません。しかし、日本語はどの言語にも似ていません。充実した留学生活を送れるか、最初はとても不安でした」

父親の希望を叶えるためにも必要だった、"英語で公共政策を学ぶ"環境

取材中のアルニ・ヴィサイポンマニさん1

日本への留学を薦めたのは、アルニさんの父親だった。彼女が1〜2歳の頃、仕事の関係で日本に赴任していたのだという。当時抱いた印象から日本が好きになり、父親として愛娘を送り出すのに相応しい国という判断に至ったそうだ。
「留学にあたって、すべての授業が英語で受けられることを条件に、日本中の大学を探しました。ラオスで学んでいたビジネスの勉強を続けられるMBAプログラムでもいい、と対象を広げたりもしました。ただ、日本語が使えることや勤務経験があるといった入学条件を課しているところがほとんどで、留学先がなかなか見つからなかったのです。そんな状況が続く中でたどり着いたのが、この大学院でした」
IPPは専門職大学院として開設され、昨年10周年を迎えた。専門的な知識や分析能力を養成するテクニカルトレーニングに加えて、実際に政策立案・形成の現場に出て実践的に学べるインターンシップやコンサルティング・プロジェクトも用意されている。学生の顔ぶれは、社会人もいれば留学生も多数在籍するなどバックグラウンドもさまざまで、切磋琢磨するのに打ってつけの環境を持つ。そんな数ある特徴の中でも、アルニさんにとってIPPを選ぶ決め手になったことがある。
「英語で公共政策を学べることでした。"将来はラオスのために働いてほしい"という、父がかねてから口にしていた強い希望を叶えることもできる。そう思って受験しようと即決しました」

多様性に対する自分自身の思い込みに気づかせてくれた、日本特有の"距離感"

晴れてIPPに合格したアルニさんは、大学院入学に先立って2014年4月に来日し、日本語を学び始めた。今では友人も増え、日本の生活にも慣れたが、来日した頃は学ぶ環境からして馴染むのが大変だったと当時を振り返る。
「一番大きかったカルチャーショックは、"日本の学生"でした。シャイで真面目で、1人で黙々と学んでいる人ばかり。私は人とのコミュニケーションを楽しむタイプなので、"どうして私に話しかけてくれないのだろう"と残念に思うことも多かったですね」彼女にとって大学とは、活発に意見を交わしながら学ぶ場所。自ら日本人学生に話しかけようと何度も思ったが、勉強の邪魔をしてしまうのではないかと躊躇する日々が続いたという。しかし......。
「しばらく経って気づいたのです。それは、日本人特有の"人との距離感"だと。ラオスでは人と積極的に関わろうとする人が多いので、日本は人に無関心な人が多い国なのかと余計に思い込んでしまいました」
彼女の誤解は、ある地域へ足を運んだことでさらに解けていく。
「関西地方に旅行した時に感じたのですが、大阪の人は人との距離感がとても近いですよね。初対面の人にもどんどん関わろうとするスタンスは、ラオスの人々に近いものがあります。日本といっても、地域によって大きな違いがある。私にとって大きな発見でした」

クラスメイト及び一橋大学の先生と

クラスメイト及び一橋大学の先生と

国際寮に住む友だちとともに

国際寮に住む友だちとともに

一枚しかない毛布を独り占めしている状態では、グローバルとは言えない

取材中のアルニ・ヴィサイポンマニさん2

アルニさんが日常的に使っている言語は、自分自身が心地よくコミュニケーションをとりやすい英語が中心だ。友人も、英語を使える人が多いのだという。とはいえ、時間が限られている留学期間の中で、日本語という壁を少しでも崩そうと上達に向けて格闘中だ。そんな彼女に、将来の目標を聞いてみた。
「大学院で学んだ後は、ラオスに戻り、政府で働くつもりです。私には兄と弟がいて、兄はすでに外資系の金融機関で働いていますし、弟はまだ幼い。ですから、私が父の後を継ごうと思っています。ラオスから海外に出る人の中には、現地に残って戻らないケースも多々ありますが、私は国家に貢献したいのです。だからこそIPPで学ぶことは、とても意義のあることだと思っています」世界のどの国にいても、何を学んでいても、心の中ではいつも母国の大地に立っている。そんな印象のアルニさんにとって、グローバルというキーワードはどう映っているのだろう。
「私の中でグローバルとは、世界中で"一枚の大きな毛布"を共有しているイメージです。もちろん毛布の中には、さまざまな人々の無数にある才能が存在しているわけですが、誰かが毛布を独り占めしている状態ではいけない。このような時代を生き抜くためにも、大切なことはダイバーシティ(多様性)を尊重することだと思います」
そう語る彼女には、普段から心掛けていることがある。まずはしっかりと自分自身を理解することだ。堂々と誇りを持って生きるためでもあると力説する。
「そのうえで、優先順位をつけてやるべきことを判断しながらやっていきたいですね。そうすれば、環境がどう変わろうと影響されることなく、自尊心を持って着実に遂行できるはずです」
その意志には、これまでの異国・異文化体験の中で刻まれてきた教訓が詰まっている。(談)

ラオスビール工場見学集合写真

2014年の夏、一橋大学の先生と学生がラオスのビール工場を見学した

アルニさんの家族写真

アルニさんの家族

商学研究科・鷲田准教授(当時)と学生がアルニさんの家族を訪問した際の写真

2014年の夏、商学研究科・鷲田准教授(当時)と学生がアルニさんの家族を訪問した

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学びの環境